「ねえ悠。眼鏡って、世界の“高画質版”だと思わない?」
朝一番、教室に入ってきた春は、開口一番そんなことを言った。
しかも伊達眼鏡だった。
「いや、お前目いいだろ」
「うん。でも“見える”と“見ようとする”って違うじゃん?」
「朝から哲学っぽいこと言うな」
春は窓際の席に座ると、わざとらしく眼鏡をくいっと上げた。
全然似合ってなかった。
いや、似合ってないわけじゃない。
なんというか、“眼鏡に春が追いついてない”。
いつもの春は、もっとこう、犬みたいに勢いで生きている。
なのに今日は急に知的キャラを始めていた。
「どう?」
「無理してる感がすごい」
「えっ。じゃあ今の私は?」
「放課後だけ急に図書委員やり始めた人」
「限定的だなぁ」
春はむむっと頬を膨らませたあと、窓に映る自分を見た。
「でもさ、眼鏡かけると“ちゃんとしてる人”に見えるよね」
「まあイメージ的にはな」
「つまり人類は、レンズ二枚で信頼を得ている」
「雑なまとめ方するな」
すると春は、急に真顔になった。
「すごいよね。透明なのに人生変えてるんだよ?」
「コンタクトのCMみたいなこと言うな」
「悠もかけなよ」
「俺は視力いいし」
「違う違う。“雰囲気眼鏡”」
「なんだそのアクセサリー感覚」
春は立ち上がって、僕の顔に無理やり眼鏡をかけてきた。
「……見えづら」
「おおー!」
「なんだよ」
「急に“夜にブラックコーヒー飲んでそう感”出た!」
「偏見で構成された褒め方やめろ」
「あと本棚が黒い」
「知らねえよ」
春はけらけら笑いながら、机に突っ伏した。
朝の教室には、まだ数人しかいない。
グラウンドからは運動部の声が聞こえる。
その中で春だけが、世界のどうでもいい部分に感動していた。
「でもさぁ」
春が横目でこっちを見る。
「眼鏡って面白いよね」
「まだ続くのか」
「だって、“見えないからかける物”なのに、“その人らしさ”になるんだよ?」
「……まあ、それは分かるけど」
「たぶん人って、“ちょっと足りない部分”で覚えられるんだよね」
「どういうこと?」
「例えば私、“よく物落とす人”って思われてるじゃん」
「まあ、昨日もパン落としてたな」
「でも、それで“春っぽい”って言われるの、ちょっと面白くない?」
「面白くはない。掃除が増える」
「つまり人類は、失敗をキャラに変えて生きている」
「また雑にまとめたな」
春は満足そうにうなずいて、また窓の外を見る。
「でも、眼鏡デビューっていいよね」
「なんで?」
「“昨日までと少し違う自分になろう”って感じするから」
「……あー」
それは、少しだけ分かった。
髪型を変えるとか、新しい靴を履くとか。
そういう小さい変化の日って、意味もなく外を歩きたくなる。
春はたぶん、そういう瞬間を見つけるのが上手い。
「悠もなんかデビューしなよ」
「急に言われてもな」
「じゃあ、“午後の紅茶を午後に飲むデビュー”」
「今までいつ飲んでたんだよ」
「朝」
「ただのフライングだろ」
春は満足そうにうなずいた。
「大丈夫。人はいつでも新しくなれるから」
「眼鏡一個でそこまで話広げる?」
「広がるよ。レンズだけに」
「うわ」
「今のはちゃんと傷ついていいよ」
自覚はあるんだなと思った。



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