「アサガオは、昨日を覚えている」

季節と天気

「悠、起きて。アサガオが反省会してる」

 夏休み初日の朝七時。
 幼馴染に叩き起こされた理由としては、かなり意味がわからなかった。

「……何それ」
「昨日の夕方、しおれてたでしょ?」
「植物だからな」
「でも今めちゃくちゃ咲いてる。つまり、“昨日はすみませんでした”ってことだよ」
「都合のいい解釈だな」

 蝉が鳴いている。
 外はもう暑いのに、春は制服の上から薄いパーカーを羽織っていた。

 庭のアサガオは、青い花を大きく開いている。
 小学校の観察日記みたいだな、と悠は思った。

「見て、この子」
 春はアサガオを指さす。
「昨日、一回ダメになってるんだよ」
「いや、夕方にしおれるの普通だから」
「でも朝に立て直してる。えらい」
「お前、基準が赤ちゃんなんだよ」

 春はふっと笑った。

「人間ってさ、“昨日うまくいかなかった”を引きずりすぎじゃない?」
「……朝から重い話するな」
「アサガオ見てると、“今日また咲けばいいじゃん”って思う」
「植物と一緒にされても困るんだけど」

 春はしゃがみ込んで、花びらをじっと見た。

「でも悠って、昨日のミス、三年後まで覚えてそう」
「覚えてるタイプだよ」
「うわ、脳のメモリがもったいない」
「失礼だな」

 春は突然立ち上がった。

「よし! 今日は“失敗をアサガオ扱いする日”にしよう!」
「絶対嫌な記念日だろ」
「たとえばテスト悪くても、“夕方しおれてるだけです”って言うの」
「先生ブチギレるぞ」
「“朝には咲きます”って付け足せば大丈夫」
「何が大丈夫なんだ」

 春は真剣な顔で頷く。

「人って、“終わった”って決めるの早すぎるんだよ」
「……」
「まだ夕方かもしれないのに」

 その言葉だけ、不思議と蝉の声の中に残った。

 悠は少しだけ黙る。

 春は昔からこうだった。
 意味不明なことを言う。
 論理はだいたい崩壊してる。
 でも、たまに変な角度から核心を刺してくる。

「……でもさ」
 悠はアサガオを見ながら言った。
「毎日咲くなら、疲れないのかな」

 春はきょとんとした。

「疲れるでしょ」
「え」
「だから夕方しおれるんじゃん」
「……」

 春は笑う。

「でも、“また明日咲こう”って決めて寝るの、ちょっとかっこよくない?」

 風が吹いて、アサガオが揺れた。

 悠はなんとなく、
 その言葉に反論できなかった。

「悠もさ」
「何」
「最近ずっと、夕方の顔してる」
「……朝から失礼すぎるだろお前」

 春はけらけら笑った。

「大丈夫。明日咲くよ」
「雑な励ましだな」
「でも、ちょっと嬉しいでしょ」
「……まあ、少しだけ」

 春は満足そうに頷く。

「よかった。このアサガオ、ちゃんと効果あるんだ」
「お前の言葉だろ」

 すると春は、少し考えてから言った。

「ううん。たぶん、“ちゃんと咲いてるもの”を見ると、人って安心するんだよ」

 その瞬間だけ、
 夏の朝が少し静かになった気がした。

 アサガオは、何も言わない。
 昨日しおれたことも、
 明日また咲くことも、
 たぶん誇らしげには語らない。

 ただ毎朝、当たり前みたいに花を開く。

 ――それだけで、
 救われる人もいるのかもしれない。

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