「ねえ悠」
帰り道だった。
制服の袖が少し湿っていて、空はずっと灰色だった。
「なんだよ」
「梅雨ってさ、“空の低気圧期間”じゃなくて、“空の考えごと期間”な気がする」
「急に詩人みたいになるな」
ぽつ、ぽつ、と雨が落ちる。
傘を叩く音が一定すぎて、逆に眠くなる。
春は透明なビニール傘をくるくる回しながら、空を見ていた。
「だって空、ずっと悩んでる顔してるじゃん」
「曇ってるだけだろ」
「でも人間も、考えごとしてる時って眉間にシワ寄るよ?」
「空に眉間はない」
「あるよ。雲のへん」
「ざっくりしすぎだろ」
春はふふん、と得意げに笑った。
こういう時、たぶん本人はちゃんと理屈が通ってると思ってる。
「だから梅雨って、“空がいっぱい考えてる時期”なんだよ」
「何を」
「夏どうしようかな〜って」
「季節の会議か」
「今年暑くしすぎると怒られるし」
「誰に」
「人類」
「空と人類の距離感が近いな」
信号が赤になる。
僕らは横断歩道の前で止まった。
道路に映る赤信号が、雨でぐにゃぐにゃ揺れている。
春はそれを見ながら、小さく笑った。
「でも梅雨って嫌われがちだよね」
「まあ、洗濯物乾かないし」
「髪も爆発するしね」
「お前は毎日ちょっと爆発してるけどな」
「湿気に優しくされてるの」
「初めて聞く表現だな」
春は前髪を指でつまんだ。
「でもさ、梅雨って悪いことばっかじゃないと思うんだよ」
「例えば?」
「“急がなくていい空気”になる」
「……は?」
「晴れてる日って、“外出なきゃ!”みたいな圧あるじゃん」
「まあ、人によっては」
「でも雨の日って、“今日はのんびりでいいか”って許される感じする」
それは少しだけ、分からなくもなかった。
雨の日のコンビニって、妙に落ち着くし。
電車の窓に雨粒が流れてるのを見てるだけで、時間が遅くなる感じもする。
でも、たぶんそれを素直に言うと負けな気がした。
「いや、普通に濡れるのは嫌だろ」
「そこはもう、“地球との握手”だと思うしかない」
「雨のスケールがでかい」
「傘は“ちょっと距離置きたいです”っていう意思表示」
「地球相手に?」
「うん」
「繊細だな地球」
信号が青になる。
歩き出した瞬間、春が水たまりをぴょんと飛び越えた。
子どもみたいだった。
いや、たぶん昔からずっとこんな感じだ。
「悠」
「ん?」
「梅雨って、“世界が静かになる期間”なのかも」
「また始まったな」
「雨の日って、みんなちょっと声小さくなるじゃん」
たしかに、と思った。
車の音も、足音も、雨に吸われる。
世界全体の音量が少し下がる。
「だから私は結構好き」
「へえ」
「みんな、ちょっとだけ優しく歩くし」
「滑るからな」
「理由が現実的すぎる」
春は笑った。
そのまま空を見上げる。
灰色の雲は、まだずっと続いていた。
「でもさ」
「ん?」
「空も考えごとしないと、疲れるんじゃない?」
「お前の中の空、労働環境あるんだな」
「ブラック企業みたいに毎日晴れろって言われたら大変だよ」
「たしかに週休二日は欲しいかもな、空も」
「でしょ?」
なぜか春は誇らしげだった。
意味は分からない。
でも、雨は少しだけ嫌じゃなくなっていた。
横で春が、水たまりを避けずに歩き始めたからだ。
「おい、靴濡れるぞ」
「大丈夫。今、地球と握手中だから」
「お前、そのうち風邪引くぞ」
「その時は空が心配して泣いてくれる」
「もうそれ普通の雨なんだよ」



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