「ねえ悠。ストレッチって、身体が“びっくりしてる時間”らしいよ」
帰り道だった。
部活帰りの高校生たちが自転車で坂を下っていく横を、僕と春はだらだら歩いていた。
「誰情報だよ、それ」
「私」
「発信源が雑すぎる」
春は歩きながら、突然アキレス腱を伸ばし始めた。
しかも道路脇で。
「危ないから止まれよ」
「でも身体が『えっ、そこまで曲がるの!?』って驚いてる感じしない?」
「知らないよ。お前の筋肉の感情とか」
「筋肉にも心あるでしょ」
「その理論でいくと俺の肩こり、かなり病んでるぞ」
「優しくしてあげなよ」
「湿布貼ってるわ」
春は「それはもう会話してる」と満足そうに頷いた。
意味が分からない。
でも春は、意味が分からないことを言う時ほど真面目な顔をする。
「ていうかさ」
春はまた歩き出した。
「ストレッチって偉いよね」
「急にどうした」
「“今は届かない場所”を、『まあそのうち行けるか』って毎日ちょっとずつ攻めてるんだよ?」
「……」
「すごく前向き」
「身体の柔軟を人格みたいに言うな」
「でも人間って、“無理だ”って思った瞬間、伸ばすのやめるじゃん」
「まあ、そういう時もある」
「ストレッチは諦めないよ。毎日『昨日よりちょっといける』って信じてる」
「ただの運動だよ」
「でも悠、ストレッチ嫌いでしょ」
「……痛いからな」
「ほら。身体に“まだそこ行けますよ”って言われてるのに拒否してる」
「言い方が通販サイトのレビューみたいなんだよ」
春は笑った。
夕方の風で髪が少し揺れる。
そのまま彼女は、急に電柱に手をついてまた脚を伸ばし始めた。
「お前ほんと場所選ばないな」
「日常にストレッチを溶け込ませてる」
「駅前でラジオ体操始める老人と同じカテゴリだぞ」
「先輩って呼んで」
「嫌だよ」
春はぐーっと背伸びしたまま空を見る。
「あ、でも分かった」
「何が」
「人って、“伸びてる途中”が一番変な顔になるんだ」
「……は?」
「ストレッチしてる時って、だいたい変な顔じゃん」
「まあ、そうかもな」
「でもさ、変な顔ってことは、“頑張って届こうとしてる瞬間”なんだよ」
「急にいい話みたいにするな」
「だから私は、変な顔してる人見ると安心する」
「なんで」
「“あ、この人ちゃんと伸びようとしてる”って分かるから」
春はそう言って笑った。
たぶん本人は、名言を言ったつもりもない。
ただ本当にそう思っただけなんだろう。
横断歩道の信号が赤になる。
僕らは立ち止まった。
「悠もやる?」
春が突然、前屈の姿勢になる。
「やらない」
「人生変わるよ」
「ストレッチで?」
「身体柔らかい人って、“まあいけるか”の範囲広そうじゃん」
「偏見だろ」
「カチカチの人は、“無理です!”って感じする」
「全国の身体硬い人に謝れ」
「ごめんなさい。でも届かないからこそ伸ばしてるんですよね」
「謝罪の途中で哲学入れるな」
信号が青になった。
春は満足したのか、ぴょんと歩き出す。
「でも悠」
「ん?」
「ストレッチって、“今できないこと”を責める時間じゃないんだよ」
「……」
「“いつか届くかもしれない”って遊ぶ時間」
そう言って春は、また意味の分からないタイミングで伸びをした。
隣で見ていると、本当に毎日が楽しそうだった。
たぶん春は、前向きなんじゃない。
“伸びてる途中”を面白がれるだけなんだと思う。
「で、悠もやる?」
「やらない」
「身体硬そうだもんね」
「お前今、一番傷つくタイプの煽りしたぞ」



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