「悠。風邪薬って、未来を前借りしてる感じしない?」
放課後の教室で、春が唐突に言った。
窓の外では、運動部の掛け声が遠くで跳ねている。
六月前のぬるい風がカーテンを揺らしていて、教室には“帰るにはまだ少し早い空気”が残っていた。
「急に怖いこと言うな」
悠は机に突っ伏したまま答える。
「だってさ、飲んだら急に元気になるじゃん」
「薬だからな」
「でも、あれ不思議じゃない? 本来なら今日ずっと寝込んでたはずの元気を、“先に使ってる”感じする」
「たぶん成分が効いてるだけだと思う」
「つまり成分って、未来の私?」
「違うと思う」
春は机の上の風邪薬をじっと見つめた。
さっき保健室でもらってきたらしい。
銀色のシートが夕日に反射して、なんか妙に神々しい。
「風邪薬って、“今だけ頑張れ”を全力で応援してくれるよね」
「薬を部活の顧問みたいに言うな」
「でも実際そうじゃない? 『お前はまだ動ける!』って」
「熱ある時に無理させる顧問は問題になるぞ」
「じゃあ風邪薬、教育委員会案件?」
「薬局が閉店する」
春はけらけら笑った。
それから一粒取り出して、じっと眺める。
「錠剤ってさ」
「うん」
「めちゃくちゃ“覚悟決まった顔”してるよね」
「顔はない」
「あるよ。『お任せください』って形してる」
「お前には何が見えてるんだ」
「逆に悠には見えてないの?」
「見えてたら病院行く」
春はふーん、と頬杖をついた。
「でも、薬って優しいよね」
「急にまともなこと言うな」
「だって、“治れ!”じゃなくて、“少し楽になれ”って感じがする」
悠は少しだけ顔を上げた。
春はいつも変なことを言う。
変なことを言うのに、たまに言葉だけ静かに残る。
「風邪って、“頑張れない日”じゃん」
春は窓の外を見ながら続ける。
「でも薬って、“今日は頑張れなくても、とりあえず水飲んで寝とけ”って感じする」
「まあ……そういう存在ではあるな」
「すごいよね。“無理するな”を固形にしたの」
「錠剤への解像度が高すぎる」
「だから私は風邪薬好き」
「いや、風邪にはなりたくないだろ」
「でも、風邪ひくとプリン食べられる」
「その理論でいくと、骨折したらアイス食べ放題になるぞ」
「夢が広がるね」
「広げるな」
春は楽しそうに笑ってから、水を飲んで薬を飲み込んだ。
ごくん、という音がやけに静かな教室に響く。
「……よし」
「何が“よし”なんだ」
「これで私の中に、“絶対休ませるマン”が入った」
「ヒーローみたいに言うな」
「悪いやつを倒してくれる」
「風邪菌?」
「いや。“まだ動ける気がする”って思い込み」
悠は思わず吹き出した。
「それは確かに一番危ないな」
「でしょ? 人間、“まだいける”が一番危険だから」
「お前、たまに急に核心つくよな」
「えへへ」
春は嬉しそうに笑ったあと、鞄を抱えた。
「帰るか」
「今日は素直に帰るんだな」
「うん。だって今日は、“頑張る日”じゃなくて、“ちゃんと寝る日”だから」
「……それを毎日できれば最強なんだけどな」
「毎日寝てたら人類が滅びるよ」
「極端なんだよお前は」
夕日が差し込む廊下を、二人で並んで歩く。
春は途中で振り返って言った。
「でもさ、悠」
「ん?」
「風邪薬って、“早く治れ”じゃなくて、“治るまで付き合うよ”って感じするから好き」
「……」
「なんか、優しい」
そう言って笑う春の横顔は、たぶんまだ少し熱っぽかった。
悠は小さくため息をつく。
「とりあえず今日は、未来の前借りせず寝ろ」
「大丈夫」
春は得意げに親指を立てた。
「今日は“睡眠”っていう最強の回復アイテム使うから」
「ゲームみたいに言うな」
「しかも無料」
「急に現実的だな」



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