「イヤホンは、世界を半分だけ消す装置」

学校の放課後

「悠。イヤホンって、ちょっと失礼だよね」

 登校中、春が急に言った。

「朝からどういう話題だ」

「だってさ、人類って“話しかけないでください”を耳に刺して歩いてるんだよ?」

「言い方が物騒なんだよ」

 春は片耳だけイヤホンをつけた高校生を見ながら、ふむ、と腕を組んだ。

「でも片耳だけなら、“半分だけ心を閉ざしてます”って感じで誠実」

「閉ざすことに誠実さを求めるな」

 駅前の信号が赤になる。

 春は横断歩道の前で止まりながら、じっと周りを見渡した。

「悠はイヤホン、何聴くの?」

「音楽」

「模範解答」

「逆に何を期待してたんだよ」

「“波の音です”とか」

「朝の通学で?」

「心が海辺の人いるじゃん」

「知らないよ」

 春は「あー」と思い出したように指を鳴らした。

「でもさ、イヤホンしてる人って、たまに無敵感あるよね」

「まあ、好きな曲流れてたらテンションは上がるかもな」

「違う違う。“自分だけ映画の主人公感”」

「それはちょっとわかる」

「雨の日とか特にすごい。歩いてるだけなのにMV始まる」

「脳内でな」

「横断歩道がサビ」

「スケールが小さい」

 信号が青になる。

 春はぴょこっと白線を踏みながら歩き始めた。

「でも、イヤホンって危ないよね」

「今度は急に常識的だな」

「後ろから来た自転車とか気づかないし」

「そうだな」

「だから私は考えた」

 春が胸を張る。

 嫌な予感しかしない。

「“外の音も聞こえるイヤホン”を作ればいい」

「もうある」

「えっ」

「骨伝導とか」

 春の動きが止まった。

「人類、先行ってた……」

「お前が遅れてただけだ」

「じゃあもう未来じゃん」

「今だよ」

 春は少し悔しそうに唇を尖らせたあと、すぐに立ち直った。

「でも、イヤホンって不思議だよね」

「また始まった」

「耳ふさいでるのに、世界広がるじゃん」

 その言葉だけ、少し静かだった。

 踏切の音が遠くで鳴っている。

 朝の風が、春の髪を揺らした。

「音楽聴きながら歩くと、いつもの道でも違って見えるし」

「まあ、それはあるな」

「つまりイヤホンは、“現実逃避装置”じゃなくて、“現実味付け装置”なんだよ」

「急にうまいこと言おうとするな」

「塩コショウみたいな」

「現実を肉料理みたいに言うな」

「今日はちょっとエモめの味付けです、って日あるじゃん」

「知らないけど」

 春は満足そうにうなずいた。

「だから、イヤホンしてる人見ると安心する」

「なんで?」

「“この人も今日をちょっと楽しくしようとしてるんだな”って思うから」

 悠は少しだけ前を歩く春の背中を見る。

 春はたぶん、本気でそう思っている。

 世界には嫌なこともたくさんあるのに。

 朝だるそうに歩く人も、スマホ見ながらため息つく人もいるのに。

 それでも春は、「みんな結構ちゃんと今日を生きようとしてる」と信じている。

 たぶん、ずっと。

「……でも春、お前イヤホン全然使わないよな」

「うん」

「なんでだよ」

 春は振り返った。

 太陽みたいに笑う。

「だって外の音、普通におもしろいから」

「小鳥とか?」

「おばちゃんの会話とか」

「限定的だな」

「昨日、“玉ねぎ安かったから今日は勝ち”って言ってた」

「平和だなあ」

「人類、意外と楽しそうに生きてる」

「お前の観測範囲だけだよ」

 すると春は、少し考えてから言った。

「じゃあ悠はイヤホンして、私は世界を聴く係ね」

「なんだその分担」

「もし面白い会話あったら共有する」

「サブスクみたいに言うな」

「月額無料です」

「強い」

 春は満足そうに笑って、そのまま校門へ走っていった。

 その背中を見ながら、悠はポケットのイヤホンを取り出す。

 少し考えて。

 結局、耳にはつけなかった。

 たぶん今日は、外の音でも悪くない。

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