「悠。日直って、たぶん教室を守る神様なんだよ」
朝、教室に入ってきた春が、黒板の前で腕を組みながら言った。
「朝イチで言うには規模がでかいな」
「だって見て」
春は黒板の右上を指差した。
そこにはチョークで書かれた文字。
『日直 春・悠』
「今日、私たちじゃん」
「そうだな」
「つまり今日は、私たちがこの教室の秩序を司る存在ってこと」
「日直を過大評価しすぎだろ」
悠が席にカバンを置くと、春はふむ、と真剣な顔で頷いた。
「でも日直って、けっこう責任重大だよ?」
「まあ、号令とか黒板消しとかはあるけど」
「違う違う。もっと精神的なやつ」
「精神的な日直って何」
「たとえば、日直が元気だとクラスも元気になるじゃん」
「気のせいだろ」
「逆に、日直が静かだと“今日ちょっと月曜日っぽいな……”って空気になる」
「曜日の責任まで背負うのか」
春は窓際に歩いていって、カーテンを勢いよく開けた。
朝の日差しが教室に流れ込む。
「よし。今日はいい教室にしよう」
「市長みたいに言うな」
「日直市長」
「権力が小さい」
春は満足そうに頷いたあと、突然悠を見た。
「悠、あいさつ元気にして」
「なんで」
「空気が決まるから」
「空気ってそんな簡単に決まらないだろ」
「決まるよ。空気って最初に喋った人にちょっと引っ張られるもん」
「……まあ、少しはあるかもな」
「でしょ?」
春は嬉しそうに笑った。
「だから私は毎朝、“おはようございます!”って言う時、ちょっとだけ“今日は楽しい日ですけど?”って圧を入れてる」
「怖いタイプのポジティブだな」
「元気の押し売り」
「迷惑キャンペーンみたいに言うな」
その時、クラスメイトが数人入ってきた。
「おはよー」
春はくるっと振り返る。
「おはようございますっ!」
やたら爽やかな声だった。
しかも妙に通る。
朝の教室に、無駄にキラキラした空気が広がる。
クラスメイトもつられて笑っていた。
「……ほら」
春が小声で言う。
「ちょっと楽しくなった」
「まあ、否定はできないけど」
「つまり日直は、教室の最初の一歩を担当してるんだよ」
「急にいい話っぽくまとめるな」
「ちなみに」
春は机に肘をついた。
「私は“いただきます”係もかなり重要だと思ってる」
「係じゃない」
「最初に元気よく言う人がいると、お弁当がおいしくなる」
「それは気分の問題だろ」
「気分でおいしくなるなら、もう実質おいしいんだよ」
「勢いで論破するタイプだなお前」
春は満足そうにうんうん頷く。
「だから私は、“楽しい”って先に決めてる」
「決めてる?」
「うん。だって人生、“あとから楽しくなるかな〜”って待ってたら、夕方になるじゃん」
「急に切実だな」
「でも、“今日はちょっと面白い日にしよう”って決めてると、けっこう面白いこと起きるよ」
春はそう言って、黒板消しを持ち上げた。
その瞬間。
ボフッ!!
ものすごい勢いでチョークの粉が舞った。
「げほっ!?」
「うわっ」
白い煙みたいになった粉が、春を包み込む。
数秒後。
粉まみれの春が現れた。
「……雪山帰り?」
「日直、自然と戦ってる」
「黒板消しで遭難するな」
悠が笑うと、春は目を丸くしたあと、なぜか嬉しそうに笑った。
「ほらね」
「何がだよ」
「ちょっと面白い日になった」
教室の窓から、朝の風が入ってくる。
粉まみれの春を見て、クラスの誰かが吹き出した。
その笑いが、少しずつ教室に広がっていく。
春は満足そうに腕を組んだ。
「よし。本日の日直業務、成功です」
「まだ一時間目も始まってないぞ」



コメント