「読み聞かせは、たぶん戦い」

学校の放課後

「悠。読み聞かせってさ」

 放課後の図書室で、春が急に言った。

「人類が“声”に課金した最初の文化だよね」

「急に文明史みたいに言うな」

 六月の図書室は静かだった。

 窓の外では運動部の声が遠くに聞こえていて、カーテンが少しだけ揺れている。

 春は絵本コーナーの前でしゃがみ込み、真剣な顔で『ねないこだれだ』を持っていた。

「明日、小学校で読み聞かせするんだっけ」

「うん」

 春は頷いた。

「だから今、どの絵本が“最強”か考えてる」

「ポケモンみたいに言うな」

「大事だよ。読み聞かせって、ほぼライブだから」

「ライブではない」

「いや、ライブ。だって子ども、反応ぜんぶ顔に出るもん。“あ、このページ興味ないな”って瞬間、空気でわかる」

「まぁ、それはそうだけど」

 春は本棚から別の絵本を引き抜いた。

「あと、読み聞かせって不思議なんだよ」

「何が」

「自分で読むと普通なのに、人に読んでもらうと急に“物語”になる」

「……あー」

 悠は少しだけ納得した。

 たしかに、子どもの頃に聞いた絵本は、自分で読んだ記憶よりも“声”で残っている気がする。

 春は腕を組んだ。

「つまり読み聞かせとは、“声を使った記憶の上書き”」

「言い方がちょっと怖い」

「でも実際そうじゃない? 昔、お母さんに読んでもらった絵本って、内容より空気を覚えてない?」

「まぁ……なんとなく」

「だから私は思うのです」

 春が急に立ち上がる。

「読み聞かせで一番大事なのは、読む上手さじゃなくて、“その人感”なんだよ」

「その人感?」

「うん。“この人、楽しそうに読んでるな”ってやつ」

「ふわっとしてるなぁ」

「だってさ、子どもって意外と見てるよ。『この大人、本気でこのネズミ応援してるな』とか」

「絵本への感情移入が強すぎる大人いるのか」

「私はする」

「お前はするだろうな」

 春は得意げに胸を張った。

「前に桃太郎読んだ時、犬が仲間になった瞬間ちょっと泣きそうになった」

「感受性が大型犬なんよ」

「だって急に“きびだんご一個で人生変える決断”してるんだよ? 熱いじゃん」

「犬側の視点で読むな」

 春はページをめくりながら、ふっと笑った。

「でも、読み聞かせって好きなんだよね」

「へぇ」

「だって、“今この人と同じ物語見てるんだな”って感じするから」

 図書室に静かな間が落ちた。

 窓の外で風が鳴る。

 春はその空気ごと飲み込むみたいに、ゆっくり絵本を閉じた。

「あと、子どもってすごいよ」

「何が」

「めちゃくちゃ笑う」

「まぁ、笑うな」

「大人だったら“いや、パンが喋るわけないだろ”で終わるところを、“パンだー!!!”って全力で喜ぶ」

「たしかに」

「私はあれを見てると、人類って本来あっち側だったんだろうなって思う」

「どっち側だよ」

「“パンが喋ったら嬉しい側”」

「カテゴリ分けするな」

 春はけらけら笑った。

「だから読み聞かせって、子どもに読んでるようで、実は“大人が忘れたものの確認作業”なのかも」

「急にそれっぽいこと言うな」

「でも悠」

「何」

「アンパンマンが空飛んでる時、“食品衛生法”とか考えないでしょ?」

「考えたことねぇよ」

「でしょ?」

 春は満足そうに頷いた。

「つまり人間は、本当に楽しい時だけ、現実を一回ちゃんと忘れられるのです」

「雑な結論だなぁ」

「でもちょっと正しい感じしない?」

「……するのが悔しい」

 春は笑いながら、絵本を抱えた。

「よし。決めた」

「何読むんだ」

「これ」

 表紙を見せられる。

『ぐりとぐら』だった。

「王道だな」

「王道は強いよ。ホットケーキ出てくるし」

「そこ基準なの?」

「読み聞かせで大事なのは、“読み終わったあとにお腹空くかどうか”だから」

「絶対違う」

「でも悠」

 春はにやっと笑った。

「人生、だいたいお腹空いてる時のほうが楽しいよ」

「その理論で読み聞かせ語るやつ初めて見た」

 図書室の時計が、静かに次の時間を刻んだ。

 春はもう一度だけ『ぐりとぐら』を開いて、小さく読み始める。

 その声は、図書室の静けさに妙に似合っていた。

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