「悠。“明日は我が身”って、すごい優しい言葉だよね」
昼休み、春は焼きそばパンを持ったまま、急にそんなことを言った。
「たぶん使い方、違うぞ」
「え?」
「普通は“次は自分も同じ目に遭うかもしれない”って意味だ」
「うん。だから優しい」
「なんでだよ」
春は窓際の席で、のんびり牛乳のストローを刺した。
五月の風がカーテンを揺らしている。
教室の後ろでは男子がシャーペン飛ばして怒られていた。
「だってさ。人って、自分だけ特別って思い始めると、ちょっと怖くなるじゃん」
「急に哲学っぽいな」
「でも“明日は我が身”って、“あなただけじゃないよ”って意味でもあるでしょ?」
「まあ……そういう解釈もできなくはない」
「だから私は、すごく人類っぽい言葉だと思う」
「“人類っぽい”って何」
春は真顔で焼きそばパンを見た。
「たとえばさ。転んだ人を見たときに、“どんくさいなー”じゃなくて、“あ、私も明日やるかも”って思えるの、優しくない?」
「まあ、そう言われると」
「私は昨日、廊下でツルっていった」
「見た」
「しかも空中で一回、“あ、終わった”って顔した」
「してた」
「でも誰も笑わなかった」
「いや、みんな心配してたからな」
「違うよ。たぶんみんな、“次は自分だ”って思ったんだよ」
「そんな連帯感ある学校嫌だな」
春はふふん、と得意げに笑った。
「つまり人類は、転ぶことで繋がってる」
「その理論だと床がSNSみたいになるぞ」
「“本日もご利用ありがとうございます。今日も誰かが滑りました”」
「怖ぇよ校内放送で流すな」
春は笑いながら牛乳を飲んだ。
そのとき、後ろの席から「あっ」という声がした。
振り向くと、男子が牛乳パックを倒していた。
机から白い川が流れている。
「あー……やった」
周囲がざわつく。
男子は顔を真っ赤にして、慌ててティッシュを探し始めた。
すると春が、すっと立ち上がった。
「ほら」
自分のティッシュを机に置く。
「使いなー」
「あ、悪ぃ……」
「大丈夫大丈夫。明日は我が身だから」
「今日のお前の口癖なの?」
悠が言うと、春は当然みたいにうなずいた。
「こういうのって、“絶対しない人”より、“するかもしれない人”の方が優しくできるんだよ」
「……」
「だから私は、けっこう未来に期待してる」
「なんでそこ着地なんだ」
「だって、みんな失敗しながら生きてるってことじゃん」
春は空になった牛乳パックをぺこん、と潰した。
「完璧な人しかいなかったら、たぶん世界、もっと息苦しいよ」
窓の外で、風が木を揺らした。
誰かが笑っている声が遠くで聞こえる。
牛乳をこぼした男子は、「マジ助かった」と何度も言いながら机を拭いていた。
春はそれを見て、満足そうにうなずく。
「ほらね」
「何が」
「今日あの牛乳こぼした人、たぶん次から優しくなる」
「……まあ、そうかもな」
「人は失敗で進化するから」
「ポケモンみたいに言うな」
「テレレレッテレー♪」
「進化の音までつけるな」
春は声を出して笑った。
つられて、悠も少しだけ笑う。
たぶん春は、本気で世界を明るく見ている。
だから時々、意味のわからない理論になる。
でも。
その理論に巻き込まれると、不思議と少しだけ息がしやすかった。
春は急に「あ」と声を上げた。
「悠」
「なんだよ」
「私、さっきから焼きそばパンのソース、制服についてた」
「……明日は我が身だな」
「うん。だから笑わないで」
「いや今のお前が言うのかよ」



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