「悠。忘れ物ってさ」
朝だった。
教室にはまだ人が少なく、窓から入る風がカーテンをゆらしている。
春は自分の机を見つめながら、腕を組んでいた。
「なんだ」
「未来の自分からのメッセージだと思う」
「一時間目から何言ってるんだ」
春の机の上には何もなかった。
正確には、あるはずのものがなかった。
「ノート忘れた」
「ただの忘れ物じゃねえか」
「違うよ」
春は真面目な顔で首を振る。
「未来の私が昨日の私に向かって、『ノートは置いていけ』って言ったんだよ」
「そんな指示出す未来があるか」
「あるかもしれないじゃん」
「なんのために」
「荷物を軽くするため」
「スケールが小さい未来だな」
春は満足そうにうなずいた。
「ほら。未来の私は優しい」
「優しくない。今のお前が困ってる」
「でもノート一冊分、肩が楽だったよ」
「その代償が今だろ」
春は少し考えた。
「じゃあ、未来の私はちょっと詰めが甘い」
「その評価でいいと思う」
すると春は急に机の中をごそごそ探り始めた。
「あ」
「どうした」
「去年のプリント出てきた」
「なんで今」
「忘れ物って、たまに発掘調査だよね」
「考古学みたいに言うな」
春は黄ばんだプリントを掲げる。
「見て。提出期限、一年前」
「完全に遺跡だな」
「もしかしたら価値があるかも」
「ない」
「未来の歴史学者が」
「いらない」
「『当時の中学生はこういうプリントを――』」
「絶対もっと重要な資料ある」
春は笑った。
「でもさ」
「ん?」
「忘れ物って面白くない?」
「どこが」
「人間って忘れるじゃん」
「まあ」
「でも、忘れたことを思い出した瞬間だけ、過去の自分と再会してる感じする」
悠は少しだけ考えた。
「……それはまあ、分からなくもない」
「でしょ?」
春は嬉しそうに身を乗り出した。
「だから忘れ物を見つけた時って、『あ、お前ここにいたのか』ってなる」
「相手は物だけどな」
「机の奥から出てきた消しゴムとか特に」
「ああ」
「『二か月ぶりー!』みたいな」
「友達扱いするな」
「向こうも思ってるよ」
「何を」
「『やっと見つけてくれたか』って」
「絶対思ってない」
「『暗かったぞ』って」
「消しゴムに感想はない」
春はしばらく黙ったあと、ふっと笑った。
「でもさ、もし本当にそうだったら」
「うん」
「消しゴムって意外と心広いよね」
「なんで」
「なくした本人が悪いのに、見つけたらまた普通に使わせてくれるじゃん」
悠は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……まあ、そうだな」
「すごいよね」
「すごいのかな」
「私は尊敬する」
「消しゴムを?」
「うん」
「基準が分からん」
その時、教室のドアが開いた。
先生が入ってくる。
「あ」
春が小さく声を上げた。
「どうした」
「今思い出した」
「何を」
「今日、宿題提出の日だった」
悠は天井を見上げた。
「未来の自分は何て言ってた?」
春はにっこり笑う。
「たぶん、『その件には触れるな』って」
「一番信用できない未来だな」
朝の教室に、小さな笑い声が広がった。


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