
夏休み明けの教室で、春が新品の消しゴムを机の上へ置いた。
白くて四角い。紙のケースにも、まだ折れた跡がない。
春は数学の問題を一行書き、数字を間違えた。
消しゴムを持ち上げる。
そして、使わずに戻した。
「何してるんだ」
「どの角から使うか決められない」
「どこでも消えるぞ」
「新品の角は四つしかないんだよ」
春は消しゴムを指先で回した。
「最初に選ばれた角だけ、いきなり仕事が始まるでしょ」
「残りの三つも、そのうち使うだろ」
「でも最初の角には、開会式みたいな責任がある」
「消しゴムに開会式はない」
春は一番きれいに見える角を、間違えた数字へそっと当てた。
一度こすると、尖っていた先が少し丸くなる。

「あ」
「消えたな」
「角の新人期間が終わった」
「一回で?」
「新品って短いね」
春は丸くなった角を眺め、それから別の角を使おうとした。
俺は止めた。
「毎回、新しい角を使うのか」
「公平に仕事を配らないと」
「四か所同時に丸くなるぞ」
「角の一斉採用だね」
「一人を四方向から採用するな」
前の席のクラスメイトが振り返った。
「消しゴム貸して」
春はすぐに差し出しかけ、途中で手を止める。
「どの角を使う予定?」
「そこまで指定されるの?」
「今、四つとも大事な時期だから」
クラスメイトは俺の消しゴムを借りていった。
春は少し考えたあと、自分の消しゴムへ謝った。
「仕事の機会を逃したね」
「お前が断ったんだろ」
次の授業は現代文だった。
春は漢字を二文字消し、ノートの端に小さな消しかすを並べた。
「角って、使いやすいのにすぐなくなる」
「使うからなくなるんだ」
「人気がある場所ほど、早く形が変わるんだね」
「残しておいたら、使いやすい意味がないからな」
春は消しゴムの平らな面を紙へ当てた。
広い範囲が一度に薄くなり、消したくなかった文字の端まで消えた。
「角の方が優秀だった」
「だから人気なんだろ」
「でも、優秀だから最初に丸くされる」
「消しゴムとしては昇進だ」
「形がなくなる昇進、厳しいね」
昼休み、春の消しゴムはもう新品らしさを少し失っていた。
一つの角は丸く、二つ目には黒い鉛筆の跡がついている。残りの二つだけが、まだきれいに尖っていた。
春は弁当箱の横へ消しゴムを置いた。
「今なら、どの角が先輩か分かるよ」
「黒くなってる方か」
「うん。仕事を知ってる顔をしてる」
「ただの鉛筆汚れだ」
「きれいな角は、まだ何も知らない新人」
俺は自分の消しゴムを見せた。
長く使っているので、角らしい角はもうない。
春はそれをしばらく見つめた。
「悠の消しゴム、全員ベテランだ」
「もう誰が誰か分からないけどな」
「角がなくなったら、担当を分けなくていいんだね」
「最初から分けなくていい」
午後の授業で、春はまた計算を間違えた。
今度は迷わず、最初に使った丸い角を選ぶ。
「新品の角を使わないのか」
「この先輩、もう私の間違い方を知ってるから」
「消す場所しか見てないぞ」
春は数字をきれいに消し、正しい答えを書いた。
その拍子に消しゴムが机から落ちる。
拾い上げると、残していた角の一つが床に当たって少し欠けていた。
春は固まった。
「未経験のまま、角が終わった」
「実務以外でも形は変わるんだな」
「角の世界、厳しすぎるよ」
春はもう迷わず、その欠けた角で次の間違いを消した。
「急に使うんだ」
「形が変わるなら、仕事をした方がいいから」
「開会式は?」
春は消しゴムを一度だけ机の上で立たせた。
すぐに倒れた。
「今ので終わり」
「短い式だな」
放課後には、四つの角を見分けるのが少し難しくなっていた。
春はケースへ消しゴムを戻しながら言った。
「明日には、みんな同じくらい働いてるかも」
「公平になってよかったな」
「でも次に新品を買ったら、また最初の角で迷うと思う」
「今日の経験はどこへ行った」
「消しゴムと一緒に、少しずつ減る」
「覚えておけよ」
春の筆箱の中で、元・新人たちは静かに同じ形へ近づいていた。

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