「ねえ悠。森林浴ってさ」
帰り道。
春は突然、道端の街路樹を見上げた。
「なんだよ」
「森に“よく来たね〜”って癒やされることらしいよ」
「違うと思う」
「えっ」
「たぶんもっと科学的なやつだろ。木の香りとか、空気とか」
「つまり森の接客?」
「急に安っぽくなったな」
春は「そっかぁ」と頷きながら、並木道を歩いていく。
六月の夕方だった。
少し湿った風が吹いていて、葉っぱがさわさわ鳴っている。
春は葉っぱを見るたびに嬉しそうな顔をするので、たぶん前世が光合成だったんだと思う。
「でもさ」
春が言った。
「森って偉いよね」
「なんで」
「何も言わないのに、人を元気にするから」
「……まあ、そういう効果はあるらしいな」
「人間だったら絶対アピールするもん」
春は胸を張って言った。
「“今、癒やしました!”って」
「それはたしかに嫌だな」
「“本日の癒やし、完了です!”ってポイントカード渡してくる」
「森林浴が一気に美容サロンみたいになった」
春は笑った。
「でも木って静かじゃん」
「まあな」
「すごいよね。黙って立ってるだけで“なんか落ち着く”って思わせるの」
「……」
「悠も木になれば?」
「急に人格捨てさせるな」
「いけるって。悠、わりと無口だし」
「褒めてる?」
「褒めてる褒めてる。クラスの観葉植物くらい安心感ある」
「規模が小さい」
春は歩きながら、近くの公園を指差した。
「あ、行こうよ」
「なんで」
「森林浴したい」
「ここ森じゃなくて公園だけど」
「木が3本あれば森判定でしょ」
「そのルールだと植木鉢でも森林浴できるぞ」
「じゃあ悠の部屋、ちょっと森林」
「観葉植物ひとつしかないんだけど」
「しかもサボテン」
「森林から一番遠い植物だな」
公園に入ると、小さい子どもが走り回っていた。
ベンチにはおじいさんが座っていて、犬がその横で眠そうにしている。
夕方の公園は、なんとなく時間がゆっくりだった。
春は大きく息を吸った。
「……あ〜」
「どうした」
「今、森に褒められてる気がする」
「だから接客形式やめろって」
「“本日も生きててえらいですね〜”って」
「優しい店員だな」
「“葉っぱ追加しときますね〜”って」
「何が増えるんだよ」
春はくすくす笑ったあと、不意に静かになった。
風で葉っぱが揺れる音だけが聞こえる。
「でもさ」
「ん?」
「たぶん、森って“何もしなくていい空気”なんだよ」
「……?」
「人って、“何かしなきゃ”って考えてる時、ずっと忙しいじゃん」
春はブランコを軽く揺らしながら言った。
「でも森って、“別にぼーっとしてていいよ〜”って感じする」
「だから接客口調やめろ」
「“本日はぼーっとコースですね〜”」
「絶対リピーターいるだろ、その森」
「人気店だからね」
「店ではあるんだ」
春は笑いながら、夕焼けを見上げた。
「あと森って、だいたい全部ゆっくりじゃん」
「まあ、木だしな」
「犬みたいに急に走り出さないし」
「そりゃそうだろ」
「だから見てると、“急がなくていっか”ってなる」
「……」
「カメ見て安心するのと同じ理論?」
「森林とカメを並べるな」
すると春は、ふと思いついた顔をした。
「じゃあ悠、“人間森林浴”向いてるかも」
「嫌な字面だな」
「無口で動きゆっくりだし」
「俺、ナマケモノ判定されてる?」
「マイナスイオン出てるかもしれない」
「絶対出てない」
「今度測ろう」
「どうやって」
春は少し考えてから言った。
「近くにいると眠くなるかどうか」
「それ授業中の先生でも成立するだろ」
「あ、たしかに」
春は声を上げて笑った。
つられて、僕も少しだけ笑った。
風が吹く。
葉っぱがさわさわ鳴る。
春はその音を聞きながら、満足そうに頷いた。
「やっぱ森林浴っていいね」
「結局なんだったんだよ、森林浴」
すると春は真顔で言った。
「合法的にぼーっとできる場所」
「最低のまとめ方だな」
「でもちょっと分かるでしょ?」
……それは、少しだけ分かった。



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