「悠、知ってる?」
朝一番、教室に入ってきた春が言った。
「中間テストって、“今の自分の弱点発表会”じゃなくて、“未来の自分へのファンレター”なんだって」
「誰が言ってたんだ、その怖い言葉」
「今、私」
窓際の席にカバンを投げた春は、なぜかすごく満足そうだった。
五月の風がカーテンを揺らしている。
教室にはまだ数人しかいない。
なのに春だけ、文化祭前日みたいな顔をしていた。
「いや待て。今日から中間テストだぞ?」
「うん!」
「“うん!”じゃないんだよ。なんでそんな嬉しそうなんだ」
「だってさ、テストって面白いじゃん」
「どこが?」
「人間の“昨日まで”が数字になるんだよ?」
「急に哲学に見せかけるな」
春は椅子をくるっと回した。
「例えば悠って、数学苦手じゃん」
「朝から刺すな」
「でも、もし今回ちょっと点数上がってたら、“あ、ちゃんと前に進んでたんだ”って分かるじゃん」
「まあ……それは分かるけど」
「逆に下がってたら、“まだ伸びしろがある!”ってことだし」
「便利だなお前の思考」
「人生、だいたい便利に考えた方が楽しいよ」
さらっと言う。
この幼馴染は、昔からそうだ。
転んでも「地球との距離が縮まった!」と言うし、
財布を忘れても「今日は物欲から自由!」と言う。
一回、本気で腹が立って、
『お前、落ち込むことないの?』
と聞いたことがある。
そしたら春は、少しだけ考えてから言った。
『あるよ。でも、落ち込むって、“大事だと思ってた”ってことじゃん』
あの時、うまく言い返せなかった。
「はい、悠」
春が突然、消しゴムを差し出してきた。
「なにこれ」
「お守り」
「角めちゃくちゃ欠けてるけど」
「いっぱい戦ってきた証だよ」
「ただ落としただけだろ」
「ちなみに英語で九十八点取った時に使ってた」
「あと二点取れよ」
「人間には余白が必要なの」
「テストに?」
「人生に」
なんかもう、反論すると負ける気がする。
春は鞄から教科書を取り出した。
付箋だらけだった。
「……お前、意外と勉強してるよな」
「意外とは?」
「いや、なんか毎日楽しそうだから」
「楽しいよ?」
「だから不思議なんだよ。そんなに楽しそうなのに、ちゃんと努力もしてるし」
春は少しだけ目を丸くした。
それから、小さく笑った。
「だって毎日楽しいだけだと、“今日”の価値が分かんなくならない?」
「……え?」
「お祭りって、毎日あったら特別じゃなくなるじゃん」
窓の外で、運動部の朝練の声がした。
春は続ける。
「だから、頑張る日もいるんだよ。テストとか、失敗とか、ちょっと嫌な日とか」
「嫌な日なのに?」
「うん。そういう日があると、“普通の日”が急に好きになるから」
その言い方は、妙に静かだった。
いつも騒がしいくせに、
時々だけ、こういう顔をする。
教室の扉が開き、クラスメイトが増え始める。
テスト前独特の空気。
単語帳をめくる音。
焦った声。
その中で春は、なぜか楽しそうにシャーペンを回していた。
「よーし」
立ち上がる。
「中間テスト、勝ちに行きますか」
「戦場みたいに言うな」
「違うよ」
春は笑った。
「未来の自分に、“ちゃんと生きてたよ”って会いに行くの」
その瞬間だけ。
中間テストが、少し悪くないものに思えた。



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