「悠。エアコンって、たまに人生に疲れてるよね」
教室に入ってきた瞬間、春が真顔で言った。
「急にどうした」
「だって見て。今日のエアコン、“二十四度設定なのに全然やる気ない風”してる」
「風に感情を見出すな」
六月の午後だった。
梅雨前の湿気が教室にこもっていて、窓の外では運動部の掛け声がぼんやり響いている。
エアコンは動いているはずなのに、なんとなくぬるい。
クラスの何人かも「あれ? 今日暑くない?」とか言いながら下敷きであおいでいた。
春は自分の席に座ると、じっと天井を見上げた。
「たぶん今日のエアコン、“もうちょっと休みたいです……”って思ってる」
「ブラック企業の社員みたいに言うな」
「でもさ、エアコンって偉くない?」
「まあ文明としては偉いな」
「夏に文句言われ続けるんだよ? しかも、頑張ったら“寒い”、頑張らなかったら“暑い”って怒られる」
「たしかに理不尽ではある」
「なのに誰も“いつもありがとう”って言わない」
「エアコンに?」
「うん」
春は真剣だった。
たぶん今、日本で一番エアコンの心に寄り添っている。
「じゃあお前、家でエアコンにお礼言ってるの?」
「言ってるよ」
「怖いな」
「『今年も夏をよろしくお願いします』って」
「神社くらい丁寧じゃん」
春は少し得意そうに笑った。
「そしたらね、去年壊れなかった」
「因果関係が雑すぎる」
「でも、機械にも“頑張ろう”って気持ちあるかもしれないじゃん」
「ないだろ」
「悠だって、褒められたらちょっと頑張るでしょ」
「まあ、それはそうだけど」
「エアコンも一緒だよ」
「違うと思う」
その時だった。
突然、ぶおっ、と強い冷風が吹き始めた。
教室の前の男子が「おおっ、急に効いてきた!」と声を上げる。
春が静かに目を細めた。
「ほら」
「偶然だろ」
「照れてるんだよ」
「エアコンが?」
「“そんなに褒めるなよ〜”って」
「解釈が全部優しいな、お前」
春はえへへ、と笑った。
その直後。
ガコンッ!!
急にエアコンから変な音がした。
教室が静まる。
「……壊れた?」
誰かが不安そうに言う。
春が立ち上がった。
「大丈夫!! 今のはたぶん“照れ隠し”だから!!」
「感情表現が下手すぎるだろそのエアコン!」
すると再び、
ガコンッ!!
「ほら、会話してる」
「完全に故障の音なんだよ」
「悠。人もエアコンも、無理すると変な音出るんだね」
「急にうまいこと言うな」
その瞬間、冷風が止まった。
「あ」
教室中が天井を見る。
数秒の沈黙。
春がゆっくり手を合わせた。
「今までありがとう」
「まだ引退したって決まってないから」
すると次の瞬間。
ぶおおおおおっ!!!
ものすごい勢いで冷風が復活した。
プリントが舞った。
「復活した!?」
「うわ寒っ!」
「見て悠!! 最後の力振り絞ってる!!」
「最後じゃなかっただろ!」
春は楽しそうに笑う。
教室のみんなもつられて笑っていた。
たぶん今日、日本で一番エアコンを応援してるクラスだったと思う。
「悠」
「ん?」
「エアコンにも波があるんだね」
「まあ機械だからな」
「私も夏になると性能落ちる」
「年中うるさいから気づかなかった」
「でも冬は省エネモードになるよ?」
「ただ布団から出なくなるだけだろ」
「環境に優しい女です」
「社会活動には優しくないな」



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