「これはペンです」

学校の放課後

「悠。『これはペンです』って、ちょっと強すぎない?」

 放課後の教室で、春が突然そう言った。

 窓の外では運動部の掛け声が聞こえていて、夕日が黒板をオレンジ色にしている。

 俺は英語のワークを閉じた。

「何が強いんだよ」

「だって、“これはペンです”って断定してるじゃん」

「断定するだろ。ペンなんだから」

「でもさ、人って見た目で判断しちゃダメって言うのに、ペンにはめちゃくちゃ厳しい」

「倫理を文房具に適用するな」

 春は俺のシャーペンを持ち上げた。

「たとえばこれ。もし内心、“本当は筆になりたかった”って思ってたらどうするの?」

「知らないよ。文房具の進路相談は」

「なのに“これはペンです”って決めつけるんだよ? 怖くない?」

「お前の世界、たまに全部が情緒あるな」

 春はうーん、と考え込む。

「しかも英語って冷たいよね」

「どこが」

「“This is a pen.”で終わるじゃん。理由とか一切ない」

「いるか? ペンの背景説明」

「日本語ならまだ優しいよ。“これはペンです”って、“です”があるから」

「“です”に安心感を見出すな」

「でも英語、“pen.”で終わるんだよ? “以上です”感ある」

 春は教卓を軽く叩いた。

「もっと寄り添ってほしい。“これはペンです。たぶん”とか」

「英語の教科書が急に自信なくなるだろ」

「“This might be a pen.”」

「もう別の授業だよ」

 春は満足そうに頷いた。

「でも、あれだね」

「何が」

「“これはペンです”って、人生で最初に習う英語なの、結構いいよね」

「急に褒め始めたな」

「だって、最初に覚えるのが“愛”とか“戦争”じゃないんだよ?」

「まあな」

「ただ、“これはペンです”。平和」

 春は窓の外を見た。

「世界中の人が、最初は“これはペンです”から始まるんだよ。なんかかわいい」

「……まあ、言われてみれば」

「たぶん人類、“まず確認から入ろう”って決めたんだろうね」

「そんな会議ないから」

「『これはペンです』『OK、共通認識だな』って」

「どんな文明の始まりだよ」

 春はくすくす笑って、俺のノートに勝手に英文を書き始めた。

“This is a pen.”

 その下に、さらに続ける。

“And this is probably happiness.”

「やめろ。英作文を急にポエム化するな」

「でもさ」

 春はペンをくるっと回した。

「好きなんだよね。“これはペンです”」

「なんで」

「なんか、“分かり合える気がする文章”だから」

 春は笑う。

「“これはペンです”って言われたら、だいたいみんな“うん、ペンだね”ってなるじゃん」

「まあ、なるな」

「それってすごくない? 人類、意外とちゃんと会話できてる」

「基準が低いな」

「いや、高いよ。だって世の中、“これ絶対おいしい!”ですら意見割れるし」

「確かに」

「でもペンは割れない。強い」

「またペンへの信頼が重い」

 春は俺にシャーペンを返した。

「悠」

「ん?」

「もし将来、世界がめちゃくちゃになっても、“これはペンです”って言えたら、たぶんなんとかなる気がする」

「その状況でペン残ってるかな」

「じゃあ枝でもいい」

「だいぶ文明後退してるな」

 春は笑った。

 俺も少し笑った。

 夕日が黒板をゆっくり赤くしていく。

 教室には、部活に行くやつらの声と、窓から入るぬるい風。

 春は机に突っ伏しながら、ぼそっと言った。

「でも、“これは春です”って言われたら、ちょっと恥ずかしいね」

「なんでだよ」

「なんか、“完成してます”感あるじゃん」

「お前は一生そのままでいてくれ」

「それ褒めてる?」

「たぶんな」

 春は少し考えてから、嬉しそうに笑った。

「よかった。“たぶん”があるから優しい」

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