「悠。参考書って、“未来の自分の攻略本”なんだよ」
放課後だった。
教室にはまだ夕方の光が残っていて、窓の外では野球部の声が遠くに響いている。
春は机に突っ伏したまま、開きっぱなしの参考書を見ていた。
まったく勉強している姿勢ではない。
「その体勢で言われても説得力ないな」
「でも見て。参考書って、“ここがテストに出ます”とか、“この考え方が大事です”とか書いてるじゃん」
「まあ書いてるな」
「つまりこれ、“未来で困った人類からのメッセージ”なんだよ」
「規模が急にでかい」
春はのそっと顔を上げた。
「だって、誰かが“ここでみんな間違えます”って気づいたから載ってるんでしょ?」
「まあ、積み重ねではあるな」
「すごくない? 人類、“うわここ落とし穴だった!”って何回も転んでる」
「参考書を遺跡みたいに言うな」
春はぱらぱらとページをめくる。
「しかも、“ここ重要”って赤で囲まれてるの、親切だよね」
「それが仕事だからな」
「ゲームだったら、“この先ボス戦です”って床に急に血文字出るレベル」
「嫌なRPGだな」
春は急に真顔になった。
「でもさ、たまに参考書って、急に難しい言葉で説明してくるじゃん」
「ああ。“簡単に言うと”の後の方が難しい時あるな」
「あるある!」
春が勢いよく立ち上がった。
「“ここは直感的に理解できます”とか書いてあると、“できないから開いてんだよ!”ってなる」
「参考書にキレる生徒、だいたい成績危ないぞ」
「でも、参考書側も必死なんだと思う」
「なんで参考書に人格を持たせた」
「だって、“どう説明したら伝わるかな……”って、夜中まで考えてる感じしない?」
「著者は考えてるだろうけど、お前の脳内だと参考書本体が悩んでるな」
「参考書にも会議あるよ、たぶん」
「ないよ」
「『今年の中学生、どこでつまずくと思う?』とか話し合ってる」
「出版社の会議なんだよ、それは」
春はうんうん頷いた。
「数学の参考書は真面目そう」
「まあイメージはわかる」
「英語はちょっと陽キャ」
「なんで?」
「“Don’t be shy!”感ある」
「参考書から感じ取るな、そんな圧」
窓から風が入って、春の前髪が少し揺れた。
春は机の上のシャーペンを転がしながら、また参考書を見た。
「でもさ」
「ん?」
「参考書って、“わからない人の味方”なの、いいよね」
その言い方が妙に静かだった。
春は笑っていたけど、いつもの勢いだけじゃなかった。
「学校だと、“なんでわかんないの?”って空気になる時あるじゃん」
「……まあ、たまにあるな」
「でも参考書って、“大丈夫、ここでみんな転ぶから”って顔してる」
「顔はしてない」
「してるよ。けっこう優しい顔」
「お前の世界、いろんな物に表情あるな」
「人生、表情ないと寂しいじゃん」
春はそう言って、またページをめくった。
カサ、という紙の音だけが少し響く。
「悠」
「なんだよ」
「参考書って、“勉強できる人が使う本”じゃなくて、“困ってる人を助ける本”なんだと思う」
「……」
「だから、開いてる時点でちょっと偉い」
「急に全部それっぽくまとめるな」
「えへへ」
春は笑いながら、参考書を閉じた。
「よし。今日はここまで!」
「今の流れで閉じるのかよ」
「だって参考書も、“今日はもう休め”って顔してる」
「だから表情をつけるな」
夕焼けの教室に、春の笑い声が小さく広がった。
たぶんこの世界は、こういう意味不明な会話で、少しだけ楽しくできている。



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