「ねえ悠。動物園ってさ」
春が急に立ち止まった。
「なんだよ」
「動物からしたら、“人間園”でもあるよね」
「最初から哲学っぽく入るな」
五月の午後だった。
休日の動物園は、子どもの声とポップコーンの匂いで満ちている。
キリンを見て騒ぐ子ども。
猿を見て笑うカップル。
ベンチでぐったりしている父親。
その全部を眺めながら、春はやたら真剣な顔をしていた。
「たしかに、向こうも見てるだろうけど」
「絶対、会議してるよ」
「なんの」
「“今日の人間、落ち着きないですね”って」
「動物側の接客レビューやめろ」
春は「ふむ」と腕を組んだ。
「でもさ。人間って、動物見るとテンション上がるじゃん」
「まあな」
「つまり本能的に、“自分より自由そうな存在”を見ると嬉しくなるんだよ」
「そんな深い理由でシマウマ見てるやついる?」
「いるよ。たぶん三割くらい」
「適当な統計を出すな」
ちょうどその時、近くのフラミンゴが片足で立った。
春が「あっ」と声を上げる。
「悠。見て。片足だ」
「見れば分かる」
「すごいよね。疲れないのかな」
「筋肉とかバランスとかだろ」
「私は二分で心折れる」
「お前はまず“片足で立ち続けよう”っていう精神力がない」
「でもフラミンゴも、最初は練習したのかな」
「知らんけど」
「“今日こそ右足でいくぞ……”みたいな」
「部活みたいに言うな」
春はしばらくフラミンゴを見つめていたが、ふと真顔になった。
「でも、動物園って優しいよね」
「急にどうした」
「みんな、“何もしなくても存在してるだけで見てもらえる”じゃん」
春は柵にもたれながら続ける。
「ライオンなんて寝てるだけで“かっこいい〜!”って言われるし」
「まあ、ライオンだからな」
「ペンギンなんて歩いてるだけで拍手される」
「たしかに人気者だな」
「なのに人間だけ、“頑張らなきゃ価値ない”みたいになる時あるじゃん」
少しだけ風が吹いた。
遠くでゾウの鳴き声が聞こえる。
春はその音に「おお……」と感動しながら、売店のチュロスを食べていた。
忙しい。
「だから私は、動物園好きなんだよね」
「……へえ」
「なんか、“いるだけでいい空間”って感じするから」
「お前、さっきから動物側の視点と人間側の視点を行ったり来たりしてるな」
「視点は多い方が楽しいよ」
「ゲームのカメラ設定みたいに言うな」
すると春は、急にサイを指差した。
「悠」
「ん?」
「サイって、“失敗したユニコーン”みたいだよね」
「全国のサイに謝れ」
「でも強そう」
「フォローが雑すぎる」
春はけらけら笑った。
その笑い声に反応したのか、近くのサルまで騒ぎ始める。
「あ、ほら」
「何が」
「たぶん今、“あの人間うるさいな”って言われてる」
「ついに動物側の翻訳が始まったな」
「でもさ」
春は少しだけ目を細めた。
「それでも見に来ちゃうって、たぶん好きなんだよ。お互いに」
「……お互い?」
「人間も動物も。“なんか違う生き物”を見るの好きなんだよ」
「それは分かる気もする」
「だから動物園って、“かわいい〜!”って場所じゃなくて、“世界ひろ〜!”って場所なんだと思う」
春は満足そうにうなずいた。
その直後、チュロスを落とした。
「あっ」
「締まらねえなぁ……」
三秒ルールを適用しようとした春の腕を、僕は無言で止めた。
すると春は真顔で言った。
「悠」
「なんだよ」
「今の、飼育員っぽかった」
「誰がだよ」



コメント