「悠。美術館って、絵が飾ってある“動かない遊園地”だよね」
美術館に入って三秒で、春がそんなことを言った。
「遊園地に謝れ」
「でもみんな、すごい顔して歩いてるじゃん」
「“鑑賞”って言うんだよ」
休日だった。
駅前の新しい美術館は、白くて広くて、なんとなく“足音まで作品です”みたいな空気をしている。
春は入口でもらったパンフレットを見ながら、ふむふむと頷いた。
「“現代アート展”かぁ」
「興味あったのか?」
「ううん。雨だったから」
「理由が洗濯物レベルなんだよな」
館内は静かだった。
壁には、赤い丸だけ描かれた巨大な絵がある。
春は腕を組んで、その絵を五秒くらい見つめたあと、小声で言った。
「悠」
「なんだ」
「これ、“トマトを描こうとしたけど途中で諦めた人”の可能性ない?」
「ない」
「ゼロ?」
「ゼロ」
春は少し悔しそうな顔をした。
「でも、現代アートって“感じるもの”なんでしょ?」
「まあ、そういう面はあるな」
「じゃあ私は“途中で飽きたトマト”を感じた」
「感受性の向きがおかしい」
隣では、髭の長いおじさんが真剣な顔で頷いていた。
春は急に焦ったように小声になる。
「待って。もしあの人も“途中で飽きたトマト”だったらどうしよう」
「そんな共鳴の仕方あるか?」
「美術館って、知らない人と心で会話してる感じあるよね」
「お前の場合、会話内容がだいぶ変だけどな」
次の部屋には、真っ白なキャンバスが飾られていた。
本当に真っ白だった。
タイトルは『余白』。
春は立ち止まった。
「……」
「……」
「悠」
「なんだ」
「これ、夏休み最終日の私でも展示できる?」
「できるかもしれないけど展示はされない」
「でも堂々としてる」
「作品が?」
「うん。“描いてない”をここまで胸張れるの、逆にすごい」
春はしばらく白いキャンバスを見ていた。
「なんかさ」
「ん?」
「美術館って、“正解を当てる場所”じゃないんだね」
「まあ、“どう感じるか”だからな」
「じゃあ私、ちょっと安心した」
「なんで」
「学校の美術って、“リンゴをちゃんとリンゴっぽく描ける人”が強そうだったから」
「まあ、それはわかる」
「でもここ、“赤い線一本”とかいるじゃん」
「いるな」
「急に“自由”の上級者出てくる」
「言い方」
春は、展示されていた一本線の作品を見ながら笑った。
「なんか、“これでいいんだ”って感じするね」
「……」
悠は少しだけ、その絵を見る。
正直、よくわからない。
でも、春が言うと、少しだけ“そういうものかもしれない”と思えてしまう。
春は次の展示へ歩きながら言った。
「たぶん美術館って、“うまい人の場所”じゃないんだよ」
「じゃあなんなんだ」
「“変な見方をしても怒られない場所”」
「お前、それ学校でも毎日やってるだろ」
「でも学校だと、“春さん、それたぶん違います”って言われるし」
「実際違うからな」
その時だった。
館内アナウンスが静かに流れる。
『館内ではお静かにお願いいたします』
春は足を止めた。
「悠」
「なんだ」
「美術館って、“静かにしてください”って言われるのに、頭の中はめちゃくちゃ騒がしくなるね」
悠は少しだけ笑った。
「……確かにな」
春は満足そうに頷く。
「やっぱり遊園地じゃん」
「まだその説続いてたのか」
「うん。“感情ジェットコースター”のほう」
「うまいこと言ったみたいな顔するな」
窓の外では、いつの間にか雨が止んでいた。
白い廊下に、柔らかい光が差している。
春はその光を見ながら、小さく笑う。
「ねえ悠」
「ん?」
「もし私が美術館に展示されるなら、作品名なんだろ」
「『騒がしい余白』」
春は一秒止まってから、吹き出した。
「なにそれ。ちょっとかっこいいじゃん」
「褒めてない」
「でも美術館なら飾れそう」
「まあ……ギリギリ現代アートかもな」
春は楽しそうに笑いながら、次の展示室へ歩いていった。
たぶんあいつは、どこへ行っても、勝手に“楽しみ方”を見つける。
そして周りを少しだけ巻き込む。
静かな美術館なのに。
春の隣だけ、なんとなく笑い声がする気がした。



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