
塔の最上階で、風の魔人が消えた。
黒い霧がほどけ、床へ青い宝石だけが転がる。フェルミノは剣を収め、周囲を見回した。
壊れた玉座。閉じた窓。上ってきた階段。
それだけだった。
「出口はどこでしょう」
答える者はいない。
勝利を告げる光も、地上へ戻す魔法陣も現れなかった。
フェルミノは塔へ入る前にもらった見取り図を開く。最上階は七階。帰路は、来た道と同じ階段である。
「ボスを倒しても、階段は残るのですね」
彼女は体力を確認した。残りは六割。回復薬は二本。戦闘で使った投げナイフはすべて回収済みだった。
下り始めてすぐ、六階の踊り場で三匹の小鬼と鉢合わせた。
小鬼たちは棍棒を構えたまま、フェルミノの背後を見た。
「親分は?」
「倒しました」
三匹の棍棒が、少しずつ下がった。
「じゃあ、俺たちは誰の命令で戦えばいいんだ」
「私に聞かれても困ります」
一番小さな小鬼が棍棒を持ち直した。
「でも勇者を見たら襲えって、昨日までは言われてたぞ」
「その命令を出した方は、もういません」
「今日の分は有効か?」
「命令に有効期限が書かれていたのですか」
「書いてない」
三匹は顔を見合わせた。
フェルミノは剣へ手をかけずに言った。
「私は地上へ戻りたいだけです。戦わないなら、追いません」
「逃げてもいいのか?」
「塔の外で人を襲わないなら」
小鬼たちは相談を始めた。
「外で何をする?」
「畑仕事なら、叔父がやってる」
「棍棒しか持てないぞ」
「鍬も似たような形だ」
話がまとまりそうだったので、フェルミノは横を通った。
五階では、鎧を着た骸骨兵が通路を塞いでいた。
「ボスを倒した者を、無傷で通すわけにはいかない」
「無傷ではありません」
フェルミノは左肩の浅い傷を見せた。
「そういう意味ではない」
「では、戦う必要はありますか」
骸骨兵は剣を抜く。だが、切っ先はわずかに下を向いていた。
「番兵は、侵入者を止めるのが仕事だ」
「私は今、退出者です」
骸骨兵の動きが止まった。
「退出者を止めろとは?」
「言われていない」
「なら、仕事の範囲外です」
「しかし、勇者を通したと知られれば――」
骸骨兵は最上階を見上げた。報告する相手がもういないことに気づき、剣を鞘へ戻した。
「右の階段を使え。左は三段目が抜けている」
「ありがとうございます」
「案内したのではない。事故を減らしただけだ」
「合理的です」
四階まで下りると、階段の前に魔物が列を作っていた。小鬼、獣人、空飛ぶ目玉。全員が荷物を抱えている。
「なぜ並んでいるのですか」
目玉の魔物が宙で一回転した。
「親分が負けたなら、この塔も終わりだろ。俺たちも出る」
「階段は一つしかないぞ」
「押すなよ。荷物が落ちる」
フェルミノは列の長さを数えた。十七体。一体につき踊り場を通るのに十秒なら、三分ほど待つ。
無理に追い越せば、狭い階段で揉める。戦闘になれば、さらに時間と体力を失う。
彼女は列の最後へ並んだ。

前の獣人が振り返る。
「勇者なのに待つのか」
「下りる順番に、職業は関係ありません」
「俺たち、敵だぞ」
「今は避難する人たちです」
列はゆっくり進んだ。
三階の倉庫で、小鬼が床へ落とした袋から乾燥豆がこぼれた。フェルミノは足を止め、袋の口を結び直す。
「拾ってくれるのか」
「階段に豆が散ると、後ろの全員が転びます」
「優しいからじゃなく?」
「両方です」
小鬼は少しだけ背筋を伸ばした。
一階へ着くころには、塔の入口に夕日が差していた。
外で待っていたギルド職員が、フェルミノへ駆け寄る。
「ご無事でしたか! 魔人は?」
「討伐しました」
「では、どうして後ろから魔物が続々と?」
塔の住人たちは、出口で行き先を相談している。畑へ行く者。街道から離れた森へ戻る者。武器を置いて、ギルドの聞き取りを受ける者。
フェルミノは答えた。
「ボスを倒しても、手下が自動で消えるわけではありません」
「普通は、残党戦になるのでは」
「戦う理由がなくなった相手と戦えば、こちらの回復薬と時間が減ります」
ギルド職員は塔を見上げた。
「それで、帰りは歩いて?」
「七階分です」
「転送魔法陣はありませんでしたか」
「玉座の後ろまで確認しました」
「宝箱は?」
「ありません」
「勝利のご褒美が、ずいぶん地味ですね」
フェルミノは靴についた塔の埃を払った。
「帰れることが、ご褒美です」
その時、塔の最上階から遅れて鐘が鳴った。
勝利を知らせる鐘らしい。
フェルミノは七階の窓を見上げた。
「鳴らすなら、下りる前にしてほしかったです」
物語はボスを倒したところで一区切りになる。
けれど旅人は、そのあと自分の足で、ちゃんと帰らなければならない。

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