【女勇者フェルミノ 第26話】図鑑の空欄は、倒しても埋まらない

朝の湿地で図鑑を開き、水路の魔物を観察する黒髪の女勇者フェルミノ 女勇者フェルミノ

冒険者ギルドの掲示板に、一枚だけ絵のない依頼票があった。

『北の湿地に現れる魔物の行動調査。報酬八十ゴールド。討伐は不要』

隣で依頼票を読んでいた若い冒険者が、首をかしげる。

「倒さなくていいなら、何を持って帰るんだ?」

「記録です」

フェルミノが答えると、彼は図鑑を開いた。問題の魔物の欄には、灰色の輪郭しかない。

「姿も分からない。じゃあ、見つけたら倒して、ここへ描けば早いだろ」

「それでは、歩き方が描けません」

「足を見れば分かる」

「食べ物と活動する時間も、足に書いてありますか」

若い冒険者は図鑑を閉じた。

フェルミノは調査の依頼を受け、湿地へ向かった。近くの農家から、夜明けに水路の柵が揺れると聞いている。魔物の正体が分かれば、柵の直し方も決められる。

湿地の入口には、泥を踏んだ跡があった。人の靴ほどの幅だが、指が三本。跡は水路へ向かい、戻るときには少し浅くなっている。

「水に入って、軽くなったのか?」

後ろから、例の冒険者が声をかけた。彼も別の仕事で湿地を通るらしい。

「泥の付き方が変わっただけかもしれません」

フェルミノは跡の横に膝をつき、図鑑の余白に形を写した。若い冒険者は剣の柄に手を置く。

「姿が見えたら、俺が倒す」

「襲われたらお願いします。先に近づく必要はありません」

二人は水路から離れた土手で待った。朝の光が草の先を照らしたころ、葦の間から小さな背中が現れた。

甲羅のように硬そうな皮膚。長い尾。魔物は水際に鼻先を寄せ、浮いていた藻を食べ始めた。

「今なら届く」

若い冒険者が剣を少し抜く。フェルミノは手を上げた。

「待ってください。まず、何を食べるか分かりました」

「倒せば、腹の中でも分かるだろ」

「その場合、次にいつ食べに来るかは分かりません」

魔物は藻を食べ終えると、柵の下をくぐろうとした。板と地面の隙間は狭い。背中が板を押し上げ、釘がきしむ。

向こう側へ出た魔物は、畑へ入らず、もう一つの水路へ歩いた。

「あれが柵を壊してたのか」

「壊すためではなく、通るためですね」

フェルミノは魔物が通った二つの水路と、柵の隙間を紙に描いた。

水路の柵の下を通る魔物を離れた土手から観察し、通り道を記録するフェルミノ

「柵を高くしても、下を通ります。水路側に通り道を作れば、畑の板を押さなくて済むかもしれません」

若い冒険者は剣を鞘へ戻した。

「倒せば、今朝の問題は終わるんじゃないか」

「一頭だけなら。でも、同じ道を使う魔物がほかにもいたら、柵はまた壊れます」

「調べる方が遠回りだな」

「今日の戦闘は短いでしょうね。来週の修理まで含めると、分かりません」

ギルドへ戻ると、受付係はフェルミノの図を見て、農家へ渡す写しを作った。図鑑の灰色の輪郭には、三本指の足と、藻を食べる姿が書き加えられる。

「行動調査、完了です。報酬八十ゴールドをどうぞ」

フェルミノは受け取った硬貨を財布へ入れた。

若い冒険者が図鑑をのぞく。

「空欄、埋まったな。結局、俺の剣は一度も使わなかったけど」

「必要になれば、お願いするつもりでした」

「出番がない方がいい仕事ってことか」

フェルミノは図鑑の新しい絵を見た。

「はい。それに、倒していたら、この欄が残りました」

彼女が指したのは、いちばん下の小さな項目だった。

『翌朝も、同じ水路に現れるか』

若い冒険者はため息をついた。

「まだ空欄があるのかよ」

「だから、明日も調べられます」

「また八十ゴールド?」

「依頼が出れば、です」

フェルミノは静かに図鑑を閉じた。

「空欄は、急いでなくすより、正しく埋める方が得です」

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