「悠」
「なんだ」
「たぶん今、世界のどこかでプリンが落ちた」
「どういう感知能力だよ」
放課後だった。
窓の外では運動部の掛け声が聞こえていて、教室には夕方特有のオレンジ色が広がっている。
春は机に突っ伏しながら、なぜか天井を見ていた。
「今、“あっ”って音したもん」
「プリン限定なの?」
「プリンって、落ちる時にちょっとだけ人生への絶望が混ざるから」
「知らねぇよ」
春はむくっと顔を上げた。
「悠、絶対音感って知ってる?」
「知ってるよ。音聞いただけでドとかレとか分かるやつだろ」
「かっこいいよね」
「まあ、すごい能力ではあるな」
「私もある」
「絶対音感?」
「うん。“あ、今この人、ちょっと見栄張ったな”って音が聞こえる」
「別ジャンルすぎる」
春は真顔だった。
たぶん本人の中では同じ分類なのだろう。
「さっき先生、“今日は早く帰れるぞ”って言った時、ちょっと裏返ってた」
「それは普通に疲れてるだけだ」
「でも“帰れるぞ”の“ぞ”に、“帰れない未来”が入ってた」
「日本語として怖い」
春は机の上のシャーペンを転がした。
カラン、と小さい音が鳴る。
「ほら」
「何が?」
「今の音、“テスト前なのに全然勉強してない人の部屋”って感じだった」
「お前の感覚、説明されるほど分からなくなるな」
「悠は?」
「俺?」
「もし絶対音感あったら、何に使いたい?」
悠は少し考えた。
「……まあ、ギターとか?」
「普通だ」
「普通で悪かったな」
「私はね、雨の降り始めを一秒前に知りたい」
「地味だな」
「だって一滴目って、ちょっと特別じゃない?」
春は窓の外を見た。
グラウンドの端で、誰かがボールを蹴っている。
「“これから雨になるよ”って空が小声で言う瞬間あるじゃん」
「分からん」
「あるよ。空、“失礼しまーす”みたいに降り始める時ある」
「雨に礼儀求めるな」
春は笑った。
「でも絶対音感ってさ、“音楽が全部ドレミで聞こえる”んでしょ?」
「らしいな」
「それ、ちょっと寂しくない?」
「なんで」
「だって、“ただの音”でいられなくなるじゃん」
悠は少しだけ黙った。
廊下の向こうで、誰かが笑っている。
窓がガタッと揺れて、風が入った。
春はその音を聞いて、ふっと目を細めた。
「私は、“なんかいい音”って思えるくらいが好きかも」
「曖昧だな」
「人生ってだいたい曖昧だよ」
「急に深そうなこと言うな」
「でも、カレーの匂いだけは絶対に分かる」
「それはただ腹減ってるだけだ」
「違う。あれはもう才能」
「安い才能だな」
その瞬間。
ぐぅぅぅ、と春のお腹が鳴った。
しかも教室に綺麗に響いた。
春はゆっくり顔を上げた。
「……ヘ長調」
「絶対違う」



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