
夏休みの朝。
クラス対抗リレーの練習をするため、俺たちは学校のグラウンドに集まっていた。
集合時間までは、あと十分。
春はスタートラインのそばで、腕を大きく回している。
「ねぇ悠。準備運動って、本番の予告編みたいだよね」
俺は靴ひもを結びながら顔を上げた。
「走る前なのに、走る場面がないけどな」
「あるよ。ほら」
春はその場で二回、小さく跳ねた。
「今のが見どころ?」
「ほんの一部だけ先行公開」
「地味な映画だな」
「予告編で全部見せたら、本番がつまらなくなるでしょ」
そう言って、春は今度は屈伸を始めた。
膝を曲げて、伸ばす。
もう一度、曲げて、伸ばす。
「これは?」
「登場人物の紹介」
「誰が登場してるんだよ」
「右膝と左膝」
「主役が膝なのか」
「足首も出るよ。肩は友情出演」
春は足首を回し、それから両腕を前後に振った。
体の各部分が、順番に起こされていく。
「つまり準備運動は、これから使う場所を体に教えてるんだよ」
「映画というより点呼だな」
「右膝さん」
「はい」
「左膝さん」
「はい」
「悠」
「俺も出演するのか?」
「同じレーンじゃないから、ライバル役」
勝手に配役された。
春は軽く走って、グラウンドを半周した。戻ってきても息は乱れていない。
「今ので予告編は終わり?」
「うん。体は本編の内容をだいたい理解しました」
「頭は?」
「これから理解する予定」
「間に合わない気がするな」
やがて先生が笛を鳴らし、スタート練習が始まった。
最初は春の番だった。
春が線の前で姿勢を低くする。
「位置について」
体はまっすぐ前を向いているのに、顔だけが俺のほうを向いた。
「悠」
「なんだ」
「予告編にはなかった場面が起きたらどうしよう」
「本番は、だいたいそういうものだろ」
笛が鳴った。
春は勢いよく飛び出し、まっすぐゴールへ向かった。
途中で帽子が少しずれたが、足取りは最後まで軽いままだった。
走り終えた春が、帽子を直しながら戻ってくる。
「どうだった?」
「予告編より、ちゃんと走ってた」
「本編だからね」
春は満足そうにうなずき、すぐには座らず、ゆっくり歩き始めた。
「まだ何かあるのか?」
「エンドロール」
「整理運動だろ」
「急に終わると、体がびっくりするから」
俺も隣を歩いた。
速かった呼吸が、少しずつ普段の速さへ戻っていく。
一周歩き終えると、先生がもう一度笛を鳴らした。
「次の組、準備して」
今度は俺の番だった。
スタートラインへ向かおうとすると、春が後ろから声をかける。
「悠、予告編がまだだよ」
「さっき一緒にやっただろ」
「あれは私の予告編」
「体操に個人上映があるのか?」
春は真顔でうなずいた。
「お客様一名、上映時間は十分です」
「本番に間に合わない」
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