「ねえ悠。白の色鉛筆って、なんのためにあるんだろうね」
放課後だった。
美術室の窓から、夕方の光が斜めに差している。
机の上には、使いかけの色鉛筆が散らばっていた。
「紙が白なんだから、描いても見えないじゃん」
春は真剣な顔で白色鉛筆を掲げている。
僕はその隣で、美術の課題の風景画を諦め始めていた。
「いや、白い紙以外に描くとかあるだろ」
「でも今日の紙、白だよ?」
「今日に限定するなよ」
「未来の可能性の話?」
「壮大にするな」
春は「ふむ」と頷くと、白色鉛筆で画用紙をぐりぐり塗り始めた。
「何してるの」
「白を重ねてる」
「見えないって」
「でもさ、悠」
春は少しだけ嬉しそうに笑った。
「見えないだけで、そこにはあるんだよ」
「うわ、美術っぽいこと言い始めた」
「芸術家だからね」
「今、猫描いて失敗してたよな?」
「あれは犬」
「もっとダメじゃん」
春の絵は独特だった。
というか、だいたい全部丸い。
犬も丸いし、木も丸いし、なぜか信号まで丸い。
一回、「世界って角ばりすぎじゃない?」と言っていた。
意味は分からない。
でも春はいつも、意味が分からないまま押し切ってくる。
「悠は何色が好き?」
「急だな……青」
「へえ。理由は?」
「なんとなく落ち着くから」
「わかる。青って“許してくれそう感”あるよね」
「なにその感情」
「赤は“ちゃんとしなさい”って感じする」
「色に説教されてるの?」
「黄色は“今日はなんとかなる!”って感じ」
「お前の脳内、ずっと応援上映だな」
春は楽しそうに笑った。
笑いながら、僕の絵を覗き込む。
「悠の絵、丁寧だね」
「普通だろ」
「いや、線が“失敗したくない”って言ってる」
「線は喋らないんだよ」
「でも性格って出るよ。色鉛筆って」
春は、自分の絵を見た。
夕焼けの絵だった。
空はオレンジというより、ほとんどピンクで、雲はなぜか水色だった。
「春の空、現実にない色してるな」
「現実が合わせればいいんだよ」
「世界への要求が強い」
「だって、夕焼けってもっと自由でいいと思う」
「まあ……絵だしな」
「そう。絵なんだから、正解じゃなくていいの」
その言葉に、少しだけ手が止まった。
春は、そういうことをさらっと言う。
別に励まそうとしてるわけじゃない。
本気でそう思ってるだけだ。
「悠ってさ」
「なに」
「消しゴム使いすぎなんだよ」
「普通使うだろ」
「人生も?」
「急に重くなるな」
「もったいないよ。ちょっとはみ出した線とか、意外と好きなのに」
春はそう言って、自分の絵の端を指差した。
オレンジが大きくはみ出していた。
「完全にミスじゃん」
「違うよ。これは“勢い”」
「便利な言葉だな」
「悠も使いなよ」
「なんでテストの見直しみたいに言うんだよ」
春は笑いながら、また白色鉛筆を手に取った。
「でも白ってさ」
「まだ続くのか」
「見えないけど、他の色をやわらかくできるんだよ」
そう言って、春は青空の上を白でなぞった。
すると少しだけ、色が淡くなった。
「あ」
「でしょ?」
なんだか悔しかった。
適当なことばかり言ってるくせに、たまにちゃんと正しい。
「悠もやってみる?」
「いや、僕はいい」
「楽しいのに」
「お前、“楽しい”だけで大体押し切ろうとするよな」
「だって人生、それがかなり大事だよ?」
「軽いなあ」
「軽い方が持ち運びやすいからね」
「カバンじゃないんだぞ」
窓の外で、運動部の声が聞こえた。
オレンジ色の光が、美術室の机をゆっくり染めていく。



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