「閉」ボタンは、たぶん気持ちだけ急いでる

「閉」ボタンは、たぶん気持ちだけ急いでるの場面を描いた春と悠の表紙 春と悠シリーズ

駅前のビルで買い物を終え、春と悠はエレベーターに乗った。

春が一階のボタンを押す。続いて「閉」のボタンを押した。

扉は、いつもと同じ速さでゆっくり閉まった。

春はもう一度押す。

「ねぇ悠」

「連打しても変わらないぞ」

「まだ何も言ってない」

「顔が言ってた」

春は「閉」のボタンを見つめた。

「これ、本当に働いてるのかな」

「閉まっただろ」

「でも、押さなくても閉まるよ」

「少し早く閉まる」

「どれくらい?」

「少し」

「その少し、見たことある?」

悠は答えなかった。

エレベーターが一階へ下りる。途中の三階で止まり、会社員らしい男性が乗ってきた。

男性が五階を押し、すぐに「閉」を二回押す。

春は小声で言った。

「あの人も信じてる」

「聞こえるぞ」

「『閉』ボタン教の人」

「変な宗教にするな」

扉が閉まり、エレベーターは一度一階へ下りた。二人が降りると、春は開いた扉の前から動かなかった。

「何してる」

「押さない時を見てる」

「邪魔になるから離れろ」

二人が少し離れると、扉は数秒後に閉じた。

春は腕時計を見る。

「今のが自然に閉まる速さ」

「買い物に来たんじゃなかったのか」

「もう一回乗ろう」

「実験しに来たんじゃない」

春は上を指した。

「でも、答えが四階にあるかもしれない」

「ないよ」

次のエレベーターが来た。二人だけで乗り、春は二階を押す。扉が開くと、誰もいない廊下だった。

今度は乗ったまま「閉」を押す。

「一、二……」

扉が閉まる。

「さっきより一秒くらい早い」

「働いてるな」

「でも一秒のために、こんな大きなボタンが必要?」

「急いでる人には必要だろ」

「一秒急ぐ人が、エレベーターを待つ?」

「階段より楽だから」

「つまり、体は楽したいけど、気持ちだけ急いでる人のボタンだ」

「少しわかるのが悔しい」

春はうれしそうに「閉」を指した。

エレベーターの閉ボタンを計測する春と悠

「このボタン、エレベーターを急がせてるんじゃないんだよ」

「じゃあ何をしてる」

「押した人を安心させてる」

レシートを見ながら話す春と悠

「気持ちのボタンか」

「そう。『私は待ってるだけじゃありません』っていう参加証明」

「扉を閉める作業に参加した気になるのか」

一階へ戻る途中、四階で親子が乗ってきた。小さな男の子が「閉」を押したがり、母親が抱き上げる。

男の子が押すと、扉が閉まった。

「ぼくが閉めた!」

男の子は得意そうだった。

春は悠を見る。

「ほら」

「あれはいいだろ」

「大人も心の中で言ってるよ。『私が閉めた』って」

「そこまで幼くない」

三階で親子が降りる。今度は悠が「閉」を押した。

春がすぐに聞く。

「今、どんな気持ち?」

「普通」

「自分で閉めた?」

「エレベーターが閉めた」

「でも押したよね」

「後ろの人を待たせないためだ」

「誰もいないよ」

悠は黙った。

「参加したかったんだ」

「早く一階に着きたかっただけ」

「気持ちだけ急いでる」

「もうその話は終わり」

一階に到着した。扉が開き、二人が降りる。

春は振り返り、「閉」を押そうと手を伸ばした。

「外からは押せないぞ」

「降りた人にも最後まで参加させてほしい」

「閉じ込める側になるだろ」

扉は誰にも押されず、静かに閉まった。

春はそれを見送りながら言う。

「押さなくても、ちゃんとできるんだね」

「最初から言ってる」

「じゃあ次から押さない?」

ちょうど別の人がエレベーターへ乗り込んだ。春は開いたままの扉を見て、少し迷う。

その人が「閉」を押した。

春は安心したように息を吐いた。

「よかった」

「何が」

「誰かが参加してくれた」

「やっぱり気持ちのボタンだな」

今度は悠が先に言った。

春は満足そうにうなずく。

「入信おめでとう」

「してない」


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