残り1秒は、待ち時間の本編

残り1秒は、待ち時間の本編の場面を描いた春と悠の表紙 春と悠シリーズ

夏休みの午後、春の家の台所で、電子レンジが低い音を立てていた。

中では、昨日のカレーがゆっくり回っている。

表示は「0:03」だった。

春はレンジの前に立ったまま、両手を背中に回している。

「三、二……」

数字が「0:01」になった。

春はそこで黙った。

俺は麦茶をコップへ注ぎながら聞いた。

「一は?」

「まだ来ない」

「表示されてるけど」

「残り一秒って、急に長くなるよね」

電子レンジは変わらない音で回り続けていた。

春は少し身をかがめ、表示を近くから見つめる。

「一秒の顔をしてるけど、たぶん中に三秒くらい入ってる」

「詰め替え用みたいに言うな」

ようやく数字がゼロになり、電子音が鳴った。

春は満足そうに扉を開ける。

「やっぱり長かった」

「待ってたからだろ」

「待ってない一秒は短いの?」

「少なくとも、数えてない一秒は気づかない」

テーブルへ皿を運ぶ。まだ冷たい部分が残っていたので、春はもう一度レンジへ入れ、今度は三十秒に設定した。

スタートボタンを押すと、すぐにこちらへ戻ってくる。

「見ない作戦」

「作戦にするほどじゃない」

俺たちは椅子に座った。春は麦茶を一口飲み、窓の外を見た。庭では洗濯物が風に揺れている。

「今、何秒くらい?」

「知らない」

「十五秒くらい?」

「時計を見ない作戦じゃなかったのか」

「見てない。想像してるだけ」

電子レンジが鳴った。

春は目を丸くした。

「もう?」

「同じ三十秒だぞ」

「レンジの前にいる三十秒と、椅子にいる三十秒は別の時間だよ」

「場所で秒の長さを変えるな」

「でも絶対違った」

春は温まった皿を取り出し、スプーンで真ん中を混ぜた。

今度は湯気が均等に上がっている。

台所で電子レンジの表示を見守る春と悠

「待つって、時間を見張ることなのかな」

「電車とか信号も、残り時間が見えると見張るな」

「横断歩道の押しボタンもそうだった。押したあと、青になるまで担当者みたいな顔で見る」

「お前が見てても信号は早くならない」

「でも、ちゃんと青になったか確認しないと」

「誰に頼まれたんだ」

春はカレーを一口食べて、少し考えた。

「待ち時間って、本当は何もしてない時間じゃないのかも」

「見張る仕事をしてる?」

「うん。来るはずのものが、ちゃんと来るか見届けてる」

「電子レンジなら温まること?」

「電車なら電車が来ること。信号なら青になること。人を待つなら、その人が来ること」

「来るまでずっと本番じゃないみたいに扱われるけどな」

「だから残り一秒が長いんだよ」

春はスプーンを置いた。

「最後の一秒だけ、待ち時間が『もうすぐ私の出番です』って前に出てくる」

「それまでの二十九秒も同じ時間だろ」

「でも、ゼロの隣にいる一秒は責任が重い」

「カウントダウンの最終走者か」

「そう。みんなが見てる」

俺はもう一度麦茶を注いだ。

確かに、授業終了まで残り一分と言われた一分は長い。待ち合わせの相手から「もう着く」と連絡が来たあとの数分も、それまでより遅く進む。

時間が変わるのではなく、こちらが時間の方を向くのだろう。

「じゃあ、見ない方が楽なんじゃないか」

「楽だけど、ちょっともったいない」

「何が」

「待ってたものが来る瞬間」

春は空になった皿を持ち上げた。

「電子レンジなら、ゼロになって鳴るところ。そこだけ見ないと、三十秒がいつの間にか終わっちゃう」

「早く終わってほしかったんじゃないのか」

「早く終わってほしいけど、終わるところは見たい」

「面倒な観客だな」

春は皿を流しへ運びながら笑った。

「待ち時間の本編は、最後の一秒なのかもしれないね」

「じゃあ、その前は?」

「長い予告編」

「この前、準備運動も予告編って言ってただろ」

「世の中、予告編が多いね」

春が皿を水につける。

俺は電子レンジの消えた表示を見た。

何も起きていないように見える時間にも、終わる瞬間を待つ役目がある。

残り一秒は長い。

それは、一秒が伸びたからではなく、ようやく時間と目が合ったからだった。

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