日焼け止めは、見えない日陰

日焼け止めは、見えない日陰の場面を描いた春と悠の表紙 春と悠シリーズ

夏休みの午前、俺は春の家の玄関で待っていた。

今日は駅前の書店まで参考書を買いに行く。外では、道路まで白く見えるほど日が照っていた。

「お待たせ」

春は帽子をかぶり、片手に小さなチューブを持って出てきた。

「日焼け止め?」

「うん。悠も塗る?」

「家で塗ってきた」

春は自分の腕に白いクリームを置き、手のひらで伸ばした。白さはすぐに消えた。

「ねぇ悠」

「なに」

「日焼け止めって、見えない日陰だね」

「塗る日陰は聞いたことない」

「だって、塗ったところだけ太陽から守ってくれるんでしょ?」

「完全には防げないけどな」

春は腕を光にかざした。

「何もないように見えるのに、ここだけ日陰」

「普通に日なたにいる」

「持ち運べる日陰だよ。場所を取らない」

「帽子もかぶってるだろ」

「これは見える日陰」

春は帽子のつばを指でつまんだ。

「見える日陰と、見えない日陰。今日は二重」

「早く行かないと、暑さは二重でも止まらないぞ」

家を出ると、空気がすぐ肌にまとわりついた。春は日陰から日陰へ移るように、塀のそばを歩く。

「本物の日陰も使うんだな」

「無料だから」

「日焼け止めも買っただろ」

「これは日陰がないところ用」

交差点で信号を待つ。頭の上には雲がなく、足元の影が濃かった。

春が俺の腕を見る。

「悠の日陰、ちゃんとある?」

「たぶん」

「見えないと不安だね」

「だから塗り残さないようにするんだよ」

「透明な宿題みたい」

「何が?」

「できてない場所が、あとから分かる」

「日焼けしてからな」

春は急に首の後ろへ手を伸ばした。

「ここ、塗ったかな」

「知らない」

「見えない日陰には、見えない弱点がある」

「ただの塗り忘れだ」

青信号になり、俺たちは横断歩道を渡った。向こう側のコンビニへ入ると、冷房の風が腕に当たった。

「涼しい」

春は両腕を広げた。

「店の中は、大きい日陰だね」

「屋内だよ」

「しかも冷たい」

「日陰の種類を増やすな」

飲み物を買って外へ出る。春はペットボトルを腕に当てた。

「冷たい日陰」

「それは飲み物」

「日陰って、太陽が届かない場所でしょ?」

「だいたいは」

「じゃあ、日焼け止めは太陽が来ても追い返す場所」

「紫外線を吸収したり散乱させたりする」

春は少し考えた。

「日陰じゃなくて、腕の前に小さい警備員がいる?」

「急に人数が多いな」

「塗ったところ全部にいるからね」

春は自分の腕を見下ろし

木にとまるセミを見上げる春と悠
た。

「頑張ってるのに見えない」

「見えなくていいんだよ。白く残ったら困るだろ」

「誰にも気づかれない仕事なんだ」

少し感心した顔をしたので、俺は先を急いだ。こういうときの春は、すぐ話を立派にしすぎる。

書店の前で日焼け止めを塗り直す春と、参考書を持つ悠

書店に着き、参考書を選ぶのに四十分かかった。外へ出ると、日差しはさっきより高くなっていた。

春は入口の脇で立ち止まり、チューブを取り出す。

「塗り直す」

「警備員の交代?」

俺が言うと、春が目を丸くした。

「悠、分かってきたね」

「分かりたくはなかった」

春は腕にクリームを伸ばしながら、買った参考書を見た。

「これも見えない日陰かな」

「どこが」

「未来の困ることを、今ちょっと防いでる」

「参考書は塗らないぞ」

「読むんだよ」

「そこは分かってる」

春はチューブを鞄へしまった。

「日焼け止めも参考書も、使った瞬間は効いたか分からないね」

「使わなかったときとの差は、あとで出る」

「じゃあ、今日の私たちは未来に日陰を作ってる?」

「参考書は帰って開けばな」

春は帽子をかぶり直して歩き出した。

帰り道、さっきより長くなった建物の影を見つけると、春は迷わずそこへ入った。

「見えない日陰は?」

「使ってるよ」

「じゃあ、そっちはいらないだろ」

「見える日陰も一緒なら三重だから」

「さっき二重だったぞ」

春は指を一本ずつ折った。

「帽子、日焼け止め、建物」

「数え方は合ってる」

「参考書も入れたら四重」

「それは日陰じゃない」

「未来の日陰」

春は得意そうに言い、俺の一歩前を歩いた。

「じゃあ帰ったら、その日陰に入れよ」

「どこで?」

「机」

春は少し黙ってから、建物の影の端で立ち止まった。

「そこ、涼しくないよね」

「日焼け止めだって涼しくはない」

「見えない日陰、思ってたより厳しい」

「日陰に期待しすぎなんだよ」

信号が青に変わった。春は日なたへ踏み出し、すぐに帽子のつばを下げた。

「悠、早く。見える日陰が終わる」

「持ち運べる方を信じろよ」

「信じてるけど、無料の方も使う」

結局、春がいちばん信じていたのは、塀が作る細長い影だった。


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