夏休みの午後、俺と春は地域の学習室で宿題をしていた。
冷房は動いているが、部屋の奥まではあまり涼しくない。管理の人が持ってきた古い扇風機が、机の横でゆっくり首を振っていた。
風が俺に当たり、数秒後に離れていく。
次は春の髪がふわっと揺れた。
「ねぇ悠」
「何」
「扇風機って、風を平等に配ってるんだね」
「首を振ってるだけだろ」
扇風機が右へ向く。春は答えを考える手を止め、風の行き先を目で追った。
「ずっと一人にあげたら、ほかの人が暑いでしょ」
「それはそう」
「だから少しずつ。悠に三秒、私に三秒、壁に三秒」
「壁の分はもったいないな」
「壁も暑いかもしれないよ」
「壁は汗をかかない」
春は扇風機の正面でノートを開いた。ページの端が風にあおられ、ぱたぱたと鳴る。
「風の給食当番だ」
「配る方が動いてるけどな」
「並ばなくていい給食」
「食べ物は来ないぞ」
扇風機が左へ離れると、春はペンを持ったまま椅子を少し動かした。
風がまた春の正面に来る。
扇風機が右へ向く。
春の椅子も右へ動く。
「おい」
「なに?」
「平等に配ってる風を全部取るな」
春は椅子の脚を止めた。
「でも、風のほうが私に付いてきてるのかも」
「お前が付いていってる」
「じゃあ私、風の列に割り込んでる?」
「一人で列ごと動いてる」
春はすぐに元の位置へ戻った。
「ごめん、扇風機」
「謝る相手は俺だろ」
「悠の風も取ってた?」
「さっきから一度も来てない」
春は扇風機が俺を向くまで、神妙な顔で待った。やっと風が届くと、小さくうなずく。
「返してもらえた?」
「最初から俺の順番だ」
「扇風機ってえらいね。誰からもお金を取らないし」
「

「じゃあ、無料の風じゃないの?」
「無料で使ってるのは俺たち」
春は学習室の入り口を見た。
「管理の人が、風をおごってくれてるんだ」
「言い方は変だけど、間違ってはない」
扇風機の台座には、弱、中、強のボタンが並んでいた。
春は指先で「強」に触れかけ、思いとどまる。
「強くしたら、もらえる風の量も増えるよね」
「紙が全部飛ぶぞ」
「風を増やすと、宿題が減る?」
「机からは減るな」
春はボタンから手を離した。
「じゃあ、弱のままでいいや」
「珍しく正しい判断だ」
「宿題を守るために、涼しさをあきらめた」
「普通にそのページを押さえろ」
春はノートの上に筆箱を置いた。それでも「強」は押さなかった。
「ほら、風も宿題も平等」
「何と何が同じ量なんだよ」
春は笑って、ようやく計算ドリルに戻った。
しばらくは、風が来ても去っても、二人とも黙って問題を解いた。
十分ほどして、春がふと手を上げる。
「ねぇ悠」
「今度は何」
「風が来る三秒だけ頑張ったら、宿題も平等に減るかな」
「減らない」
「でも、ずっと頑張るのは不平等じゃない?」
「誰と比べてるんだよ」
春はドリルの残りページと、ゆっくり左右を往復する扇風機を見比べた。
「じゃあ、これを解く順番も回したらいいよ」
春はドリルを俺の方へ回した。
「平等じゃない」
俺が押し返すと、ちょうど風が春の方へ戻ってきた。めくれたページが勢いよく閉じる。
春は表紙を押さえながら言った。
「扇風機も、今は悠の順番だって」
「それは、ページをめくる順番だ」
その後、春は風が来るたびに、一枚ずつ宿題を進めた。
平等かどうかは知らないが、少なくとも扇風機は、春より真面目に左右を往復していた。

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